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近所にあった幻のサーキット [青森の話題]

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正月5日の地元紙・東奥日報に見開きでこんな記事が掲載されていました。

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『幻のサーキット 夢の跡』『50年前開業 1年半で幕』という見出しが躍っています。
これは下北半島の野辺地町向田地区にかつて短期間だけ存在した日本屈指の高速サーキット『陸奥湾インターナショナル・スピードウェイ(陸奥湾サーキット)』を取り上げた企画記事でした。

以前から存在自体は知っていたし大体の場所も知っていました。
自宅からクルマで15分ほどの場所です。

陸奥湾サーキットは1972年7月にオープンした1周4.5kmの左回りセミオーバルコースでした。
陸奥湾の砂浜の海岸沿いに建設されれ前年にオープンした動物園に併設された当時の青森県でも珍しい大型複合レジャー施設だったようです。

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▲当時開催されたレースの模様(東奥日報掲載)


記事によるとこけら落としの7月2日にストックカーの300kmレースが開催されています。
ストックカーとは市販車あるいは小改造を施した市販車ベースのクルマでWikipediaによるとサニークラスでも時速250kmに迫る速度が出せたコースレイアウトだったそうです。
「日本最大規模のレース」と銘打って開催され4万5千人ほどの観客が押し寄せたと当時の記事にあるようです。
当時の様子を伝える映像がYoutubeにUPされていました。


▲地元局RAB青森放送のニュースライブラリをまとめた番組から



▲こちらは音声なしの記録映像アスファルト舗装されたコースの向こうに陸奥湾が広がっている様子が分かります。
今の安全基準では考えられないコースと観客席を隔てるものほとんど映っていませんね

また、当時も何もないこんな田舎の辺鄙な場所に芸能人もやって来て盛況だったようです。
和田アキ子、山口百恵、森昌子さんも特設ステージに立ったそうです。


コースレイアウトは下記(左側)のように陸奥湾と国道279号との間に広がる土地に南北に長いオーバルコースで左回り(反時計回り)で使用され第1コーナと最終コーナーにはバンクが付けられていたそうですがメインスタンドがある直線部の長さは1800mもありかなりの高速レイアウトでバンクが付いた最終コーナーでもコースを飛び出す車が相次いだそうです。
(長い直線を前にこの最終コーナーで速度を落とすとタイムロスになるんですね)
単純なコースレイアウトなのでテクニカルな面よりも車速がものをいいそうですね。

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当時のコースレイアウト図と現在の衛星画像との比較(GoogleEarthより)

衛星画像の中央南北に走る白い線が国道279号で左側が陸奥湾。
よ~く目を凝らして見ると薄っすらと当時のコースが浮かび上がるかと思います。

こうしてみると当時から砂浜の砂が簡単にコース上に入ってしまいとても滑りそうですが案の定、速度が出る路面に砂が乗ってとても滑るコースだったようでまた陸奥湾からの強風が横風となってこれまたハンドルを獲られやすかったそうです。
今でもF1の中東開催ではこのコース上に飛来する砂に悩まされることもしばしば・・
また当然ですが冬場は使えません[あせあせ(飛び散る汗)]
ちょっと考えればこの場所にサーキットを建設するなんて無謀だと思いますがサーキットのオーナーである十和田氏の実業家の方は青森県の地元の若者に夢を与えたい・・と東北初のサーキット建設に踏み切ったそうです。
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▲当時のレースでは240Zも参加していたようです。

陸奥湾サーキットはわずか10数レースを開催して開設翌年の1973年に閉鎖となってしまいました。
閉鎖の理由は経営面の問題ではなく土地の地権者との間の問題だったそうですがちょうど開設直後にオイルショックを迎えてとてもカーレースなんて‥という時期と重なったというのも要因かと思います。
ここまで来るのにはマイカーが必須だったにオイルショックは客足を遠ざける要因になった筈です。
併設されていた動物園も1975年に閉園となってしまい東北の端に突如出現した夢のリゾートは短い歴史に幕を下ろしました。

このサーキット跡の脇を通る国道はよく利用するので運転しながらも以前から木立の入れ目からちょっとでも当時の形跡を見られないかなぁ~とわき見運転にならないように注視していましたがホタテの貝殻の処理場のようになっていて車を停めて立ち入ることもできないのでこうして記者の目による記事掲載は嬉しかったです。
サーキットが営業されていたころは私は3,4歳で青森には住んでいなかったのですが夏休みに田舎(今住んでいるところ)に遊びに来た際にこのサーキット跡(動物園跡)の国道を通る際に道路の両側に高いフェンスが設置されていたような気がします。
当時動物園で飼育されていた台湾ザルが逃げ出して下北半島の天然記念物の北限のニホンザルと交配するのを防ぐためだったのだと思います。(ライオンやクマもいたようですが)


サーキットの痕跡はスタンドの一部が今でもかろうじて確認できるようですがすぐ裏まで波の浸食があるようです。
ネット上では多分無許可立ち入りであろう動画撮影や写真掲載サイトを見かけるほど廃墟マニアにとっては憧れのスポットのようになっているみたいなので観光協会主催の見学ツアーとか企画されることを提案します。(なんだかここや周辺が心霊スポットとしても紹介されている記事も散見されます)

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