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六ヶ所村の富ノ沢遺跡 [歴史・古代史]

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。
夏の疲れが出たのか体調不良が続きちょっとブログ活動をお休みさせていただいていました[ふらふら]
ご心配戴いている[目]眩暈については現在耳鼻科で検査待ち状態ですがその後は眩暈は起きていないので一時的なものだったのかも?

今回はひと月ほど前のことになりますが8月22日に
お隣の六ケ所村の村立郷土館で開催されている”今よみがえる富ノ沢遺跡”という企画展に行ってきた記事となります。
(企画展の会期は令和5年7月15日~9月24日)
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こうした考古学関係の展示会の参加は今年はこれが初めてとなります。

六ケ所村というと全国的にも有名な”原子力タウン”です。
もう何十年も前から核サイクル施設やその関連施設の建設ラッシュが続いています。
今回の企画展の”富ノ沢遺跡”も
そんな原子力関係施設の建設工事にあたって本格的な調査がおこなわれた遺跡なんです。

この遺跡の特徴はなんといってもあの青森市内の三内丸山遺跡が発見されるまでは”国内最大級の縄文集落遺跡”だったということです。
この事実は私自身も知らずにいたので説明を聞いて大変驚きました。


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▲企画展のチラシ 嬉しいことに入場無料です。
チラシにもある遺跡巡りツアーにも参加したかったのですがこのころは猛暑続きで参加は断念しました。

”縄文最大の・・”の名誉は三内丸山遺跡に譲ったとしてもそれほどの規模の遺跡がほとんど名が知られていないのは調査後にほぼ埋め戻されてしまったからでしょうか?
現在では遺跡の発掘現場は原子力施設の敷地内になっていたり新しくできた道路になっていたりしています。

それでも三内丸山遺跡をはじめとする県内の縄文遺跡群とリンクしてもっと広報周知すればよい観光資源にもなったのではないかと思いますが現状はこの遺跡は世界遺跡の構成遺跡にも入っていませんし県内の他の縄文遺跡に比べてもマイナーな存在であると思います。
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▲富ヶ沢遺跡と同年代の縄文中期の土器で有名なのがこちらの国宝・火焔式土器(笹山遺跡(新潟県))。
最近はこのようにカプセルトイでも縄文土器のミニチュアが手に入ります。

私が会場を訪れたのは平日の日中ということもあり見学者は自分以外誰も居ませんでした。そんな状況だったのですがわざわざ学芸員の方がご丁寧に付きっ切りで会場内を説明してくださり有難かったです。
なんとも贅沢な時間を過ごすことができました。


この学芸員の方は昨年、私の住む町で開催された地元の遺跡に関する企画展で出張解説員として来ていただきお世話になった方でした。


当日、現地で学芸員の方に解説いただいた内容と頂いたリーフレットから改めて富ノ沢遺跡についてざっと要点をまとめてみました。
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縄文時代中期(今から5100年~4100年前頃)に隆盛を誇った大規模集落遺跡
竪穴住居跡503 土坑1034 貯蔵穴262 を確認
集落の形成が始まった前半は東北北部の円筒式土器の文化
集落の形成の後半は東北南部の大木式土器の文化
大木式土器の文化が入ったころから急速に集落の大規模化が進む
(計画的なムラの発展)
土器文化の転換時期を境に集落の位置が変わる(高台に移動)
土器文化の転換時期の直前に急速に人口減少するがその後人口急増
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土器文化の転換(円筒式=>大木式)でムラの生活や形態に大きな転換がみられるのですがこれは大木式文化圏(東北の南部)の縄文人が北上して来たのか?あるいはもともとの住民が文化的変容を起こしただけなのか?いろいろ個人的に興味は尽きないところです。
村内の大規模開発もひと段落している現状では新たな追加発掘調査も難しそうです。

う~ん、もし遺跡の保存を優先させていたらもしかしたら三内丸山遺跡を凌ぐような大発見もあったのかなぁ~でも開発を優先させたおかげで現在の豊かな六ヶ所村があるのも事実だし難しいですね(考古学好きとしては保存優先でお願いしたいけど住民の方にとっては全く次元の違う話なんだろうというのも容易に想像できます)

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▲企画展で頂いたリーフレット(クリックで拡大できます)

遺跡のある六ヶ所村は青森県の下北半島の太平洋側にあって陸奥湾に面している私の住む町と背中合わせなんです。
従来は夏でも冷たいヤマセが吹く作物も育ちにくい冷涼な土地という寒村のイメージでしたが村を上げての大規模開発が功を奏していまでは核サイクル施設を中心にした原子力の街となりました。
最近は自然エネルギーの象徴である大規模太陽光発電所や大規模風力発電事業の立地もありまた原子力関連の人材が集まってもうかつての寒村のイメージは完全に吹き飛んだ感じです。
原子力マネーの力で地方交付税交付金も貰っていないとか?(噂)
村内の施設も立派なものが多くて今回訪れた郷土館も素晴らしい施設と展示内容でした。
コンサートホール(スワニー)もあるし温水プール、大規模入浴施設(ろっかぽっか)や県内の大手スーパーも出店しています。(ダイソーもある)
うちの町からも六ケ所村へ通勤している人も多いです。
ちょっと”村”というイメージじゃないですよ

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今年は猛暑の影響で稲の生育が早く稲刈りも例年に比べて早目になりました。
知り合いの稲刈り作業の手伝いが毎年恒例となっているのですが田圃の隣では遺跡の発掘調査が行われています。
ここの発掘現場も数年前は田圃でしたが下北半島縦貫道路の建設予定地となったため発掘調査ができるようになりました。
作業の携わっている人の話ではまだ目ぼしいものは出てこないとのこと
ここの現場も数年前まで自分も稲刈りのお手伝いをしていた場所です。

こうしてみると我々は縄文人の営みの上で暮らしているという実感が湧いてきます。
作家の司馬遼太郎先生が「街道をゆく」で青森県編を「北のまほろば」と題したのも頷けますね
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タグ:富ノ沢遺跡
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地元の縄文再発見フェア in しもきた 見学して来ました② [歴史・古代史]

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。
秋のホタテ養殖作業の仕事でしばらくブログ更新を停止しておりました。
ちょっと予定よりも長い期間になってしまい予告もしなかったこともありご心配をおかけしたかもしれません[ふらふら]
夜の9時就寝、朝4時半起床という生活スタイルに一時的になっていたのですが作業期間が終了しても当面この早寝早起き習慣が抜けそうにありません。
青森県民の県民性として早寝早起きというものがあるので周囲にこのことについて不満を漏らすと笑われちゃいそうです。

ブログ記事の方は今回も前回に引き続き「地元の縄文再発見フェアinしもきた」の様子を・・・(前回記事から間が開いてしまいました[たらーっ(汗)]
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会場はむつ市のむつ来(か)さまい館です。

前回は下北半島の付け根付近(本州側の入り口)の横浜町と六ケ所村の遺跡の遺物をご紹介しました。
今回はむつ市を中心とした下北半島の遺跡の遺物のご紹介です。

下北半島の中心・むつ市の遺跡からの遺物は別室で展示されていました。

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こちらはむつ市の酪農(3)遺跡の紹介コーナーです。
※酪農とは地名です。
この遺跡は横浜町の林の脇遺跡と同じく下北半島縦貫道路の建設にあたり発掘調査が進められた遺跡です。
こちらは私も現地説明会に参加した遺跡になります。
 [かわいい]酪農(3)遺跡現地見学会の記事(こちら
ここの遺跡の目玉は下北半島で初めて”環状列石”が見つかったことです。
また土器に入れられた人骨も見つかっています(再葬の痕跡)。
残念ながら道路建設のためにこの遺跡は埋め戻し(掘り下げ)されてしまったそうです。

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大湊・近川遺跡の縄文時代後期の土器です。
香炉型土器?
ご覧のように煮炊きする土器ではないと思われます。
祭祀に使われたものなのか?
中国王朝の宮廷にもこんな感じの置物がありますがそちらは香炉台として使われていました。
自分としては鳥籠?に使ったりしたのかも?と思っています。

きれいな外見、きれいな声でなく鳥は畏敬のの対象で身近に置いて鑑賞したり鳴き声で占いにしたりとか?
使い方をあれこれ想像するのもまた古代の土器の楽しみです。
なんていったってこれが正解”がないのですから・・

会場で私が一番気になった遺物がこちらです。

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熊ヶ平(1)遺跡から出土した青色片岩製石斧(せきふ)縄文時代前期のものらしいです。
ご覧のように真ん中に人工的に細工された溝が彫られています。
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よ~く見るとV字型の溝になっています。
会場での説明では組み合わせて石斧としたのではないかということでした。
ちょっと気になるV字の溝です。
何か他の道具の製作のための治具(標準的な形状に整えるためのガイド)だったりしないかなぁ?と会場のスタッフさんと雑談してきました。
結構キレイに溝が整えられすぎている気がしてなりません。
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現代のグラインダーやサンダーで掘ったような印象のV字型溝でした。

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こちらも香炉型土器といわれているものです。

大湊近川遺跡から出土(縄文後期)

お城の屋根のしゃちほこ風の飾りが印象的です。
これって分割構成されているのかなぁ?
一体成型(焼き上げ)だとするとものすごい技術ですよね

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縄文土器と並べられているとドキッとしますが近世~近代の酢徳利の出土品も展示されていました。
尾道酢と書かれていいます。

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現在もある会社のHPにも同じような徳利が見られます。
会津藩が下北の田名部(むつ市)に斗南藩を立ち上げたころにも持ちこまれたものなのか?
千石船が運んできたものなのか?

縄文とはまた違ったロマンを感じます。

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こちらは東通(ひがしどおり)村の瀧之不動明遺跡から出土の壺型土器
壺の底面がよく見えるようにか天地逆さに展示されているのはこのきれいな文様を見せるため。
見えない部分にまでこだわった縄文人の美意識、煮炊きする土器では炭で真っ黒になるここ(底)に手を加えることをしないので壺という新スタイルの土器だからこその装飾なんだと思います。


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縄文カードにもなっていますよ

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こちらも江戸~明治期の茶碗の出土品です。
遺物が出土した前坂下(13)遺跡は東通原発の敷地内にある遺跡でこの茶椀を使っていた人は将来ここに原発ができるなんて思ってもいなかったでしょうねぇ

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電動ターンテーブルに乗せられて展示されていたのは風間浦(かざまうら)村の古野(2)遺跡から出土した土偶でした。
ちょっと写真ではわかりにくいのですが眼と鼻の穴、口に穴があけられています
縄文中期の土偶は下北地域では貴重なんだと縄文カードにかかれていました。
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ターンテーブルの乗せられくるくる回っていたので動画撮影しちゃいましたが動画撮影機禁止だと分かったので公開は控えます。
上の写真よりも顔の表情がはっきりと写っていました。


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こうした各地の遺跡の遺物を見ているとミニチュア土器(土偶)を結構見かけます。
用途については様々な意見がありますが見ているだけでけっこう”ほんわか”しちゃいます。

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会場ではこの5枚の縄文カードをゲットしました。
展示されている実際の土器の中にカードが隠されていて見つければ1枚だけ引くことができました。
縄文カードは県内各地の施設でそのご当地縄文カードが配布されているようで全部で100枚あるそうですがフルコンプはかなりハードルが高そうです。
私の住む町では2つの施設で2枚の縄文カードを配布中です。


今回の展示会のレジュメ資料(会場で配布された紙の資料)が青森県埋蔵文化財調査センターの特設サイトからPDFダウンロードができます。
私も参考にしながらこの記事を書いています。
紹介しきれなかった他の遺跡についても書かれていますのでご興味のある方はダウンロードしてご活用ください。(ダウンロードは[次項有]こちらのページからページ冒頭の”レジュメはこちらから”どうぞ)

[ふらふら]この会場でスタッフの方(県の埋蔵文化財センターの方かむつ市教育委員会の方なのかは聞きそびれてしまいました)が私のブログネームをご存じでお声かけいただきました。(以前見学した遺跡について質問したので気づかれたようです)
過去の遺跡の見学会のブログ記事をご覧になっていただいていいたようでほかのスタッフの方にもお声がけしていただき全く恐縮の限りです(汗)
私の稚拙な内容の記事が専門家の皆さんにも読んでいただけていたとは・・・
知らない処で大恥をかいていたのではないかと思うと恥ずかしです。
もうちょっと勉強してしっかりした内容の記事を書くことを心掛けなければ・・

顔の考古学: 異形の精神史 (514) (歴史文化ライブラリー)

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  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2020/12/17
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▲早速、図書館に貸し出し予約した本、第8回古代歴史文化賞受賞作品です。

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地元の縄文再発見フェア in しもきた 見学して来ました① [歴史・古代史]

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。
9月10日海上自衛隊八戸航空基地祭、11日三沢基地航空祭と地元青森での航空祭記事が続きましたが今回も9月に開催されたイベントの記事になります。

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2022年9月17日(土)・18日(日)の両日、むつ市のむつ来さまい館で「地元の縄文再発見フェア in しもきた」が開催されました。
下北半島各地の遺跡から出土した遺物の展示と講演会で構成されるイベントでした。
私は2日目の午前中に見学させていただきました。(午後からの講演会は都合がつかず不参加となり残念)
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青森県には縄文時代の大規模集落の遺跡で世界遺産北海道と北東北の縄文遺跡群の中心的構成遺跡である三内丸山遺跡があるので”青森県&縄文”というイメージは全国的にも浸透しているのではと個人的には思っています。
世界遺産に含まれる縄文遺跡は県内に8遺跡あり、北海道(5遺跡)、岩手県(1遺跡)、秋田県(2遺跡)と数の上でも上回っています。


縄文時代のイメージって現在50歳代の私が学校で勉強していたころに比べて近年の発掘調査研究などでかなり様変わりしています。
やはり三内丸山遺跡が大きな転換点になった印象があります。
稲作が始まる弥生時代以前、狩猟採集生活を中心ていたと考えられていた縄文時代に大規模定住集落が存在して漫画に出てくるような原始(旧石器時代)生活よりはるかに文化的な生活をどうやら送っていたらしいことがわかってきました。
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縄文時代より前の時代(石器時代)の大人気漫画

今回の展示会は”「地元の縄文」再発見”プロジェクトの一環として開催されたものです。
このプロジェクトの趣旨は全国的に有名な三内丸山遺跡以外にも県内には各市町村に3,600ヵ所もの縄文遺跡があり青森県の縄文遺跡密度はかなり高いということから今住んでいる場所の身近のところにある縄文遺跡を”地元の縄文”と定義してもっと縄文時代とその遺跡のことを知ってもらうための取り組みということです。
具体的内容は以下の通り
①「地元の縄文」フェアの開催
②「あおもり縄文カード」の作成・・ダムカードやマンホールカードのようなもの 
③「地元の縄文」をインターネットで配信
④「縄文〔実物〕遺物セット」の作成・・学校の授業で実際に触れる遺物の貸し出し

今回のフェアは”しもきた(半島)”地域の地元の縄文遺跡の紹介となります。
会場内の出土品展示エリアは大きく4つに分かれていました。
・【横浜町・六ケ所村】下北半島の本州側の入り口
・【風間浦村・東通村】下北半島の津軽海峡~太平洋沿岸北部
・【大間町・佐井村】下北半島の”鉞(まさかり)の先端部

・【むつ市】下北半島の中央部

展示された遺物の総数は560点にものぼるので全部を紹介できませんので特に私の個人的主観で興味を持ったものをセレクトして記事にしてます。


まずは入り口付近のエリア、私の住んでいる町の「地元の縄文」の紹介パネル

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林の脇遺跡は特に自宅から目と鼻の先の遺跡で現地発掘説明見学会にも参加させていただきました。(当時の記事はこちら
また桧木遺跡はかなり貴重な遺物が発見されています。
桧木(ひのき)地区は町の中心部のちょっと北側に位置しています。
町の氏神様である八幡神社が海岸沿いにあって古くから人が住みついた町の中心エリアだったのかも?

桧木遺跡は1981年に町の教育員会により調査が行われた遺跡です。
当時、自分は中学生、東京で暮らしていたのですが夏休みに田舎(横浜町)に遊びに来ていて公衆浴場の脱衣場にこの遺跡の発掘調査の案内チラシが貼ってあったのかすかに覚えています。

桧木遺跡ではこんな珍しい土器片が見つかりました。
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ちょっと写真を撮る角度が悪かったですね~
せっかくスタッフの方が展示ケースを外してくれたのに~
縄文カードの方がよくわかると思います。
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土器のふち部分にこんな感じで動物の顔が2頭分見えませんか?
これはクマ型突起付土器と呼ばれています。
うちの町はクマが結構出没するのですが昔からそういう土地だったのですね
縄文土器にクマがあしらわれている例は多いそうですが2頭並んでいるのは珍しいのだそうです。
縄文カードの説明には「コップのフチ子」さんに例えられていました。
縄文晩期の遺物だそうです。
子供に使わせていた土器なのかなぁ?
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土器カードの説明分は画像をクリックして拡大表示させてください。

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こちらも桧木遺跡から出土した円盤状石製品(縄文晩期)
なんだかとても抽象的な名称ですね
自然にできた形状ではなく縄文人がこんな感じに加工したものなんだろうけど何に使ったのかなぁ?ちょっと聞きそびれました。
お金の代わり?だったら凄い。
どんどん作れたら当時もインフレになったかも?
古代のヒトにとってこのようにただの石を平たく丸く加工する手間や要する時間こそが物に価値をも吹き込む基準になっていたのかもしれません。DSC01077.jpg

同じく桧木遺跡から出土した縄文後期の土器です。


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こちらは桧木遺跡と同じ横浜町内のモダシ平遺跡から出土した弥生土器。
縄文時代の土器から荒々しさが消えて洗練された感じです。
この遺跡のある場所もよくクルマで近くを通るのですが遺跡があることを知りませんでした。
まだまだ知らない「地元の縄文」が他にもありそうです。



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こちらはお隣りの六ケ所村・上尾駮(かみおぶち)(1)遺跡から出土した鼻曲り土面(縄文後期)
今の私たちが見ても撮ってもユーモラスなお面です。
鼻がも曲がっていますが眼の穴の上の眉の部分もおかしく曲がっています。
にらめっこでもこんな感じに顔をゆがめたりしますよね~
ひょっとこ(火男)のお面に通じるものを感じます。
お面(土面)にするには両サイドに紐通しの穴が開いていない・・といわれていますが常に顔に被って何かをしたのではなく手に土面を持って必要な場面で瞬時に素顔と土面の表情とを使い分けて使うようなことをしていたのかも?(紐は不要というか邪魔?)
宴会の余興用なのかも?

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こちらも六ケ所村の大石平・上尾駮(2)遺跡から発掘された遺物。
一目見てすぐにわかりますね?
そう動物を模した動物形貼付
クマかな?イノシシかな?四肢をべた~っと広げているように見えるのは縄文人によって狩らた姿?
土器などに貼り付けられていたのでどれもミニチュアサイズでかわいいのです。
動物の中でもクマはよく遺跡から出土しているようなので縄文人がクマに持っていた意識は現代人のただただ恐ろしいといったイメージとはだいぶ違っていたのでしょう。
ただ現代の日本人が怖くて恐ろしいクマとは180度違うかわいらしいクマさんキャラが人気という気質も縄文人のDNAが影響しているのかも?
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原子力施設や国家石油備蓄基地が立ち並ぶ六ケ所村の遺跡は大規模開発により発掘調査が進められ様々な遺構や遺物が見つかりましたがそうした遺跡の多くは核サイクル施設工場の下に埋まってしまいました。
県内の遺跡に限らず各地で行われている遺跡の発掘調査の多くがこうした土地開発、道路建設などの工事に伴うもで調査後に全体が保護され残される遺跡は滅多にないそうです。

青森市の三内丸山遺跡も野球場の建設工事によって調査発掘されその全貌が明らかになり流石に考古学的価値が突出して高いものであったため残されたようです。


次回も「地元の縄文」フェア in しもきた の記事になります。

[かわいい]青森県埋蔵文化財調査センターのサイトこちら

タグ:地元の縄文
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是川縄文館にあの国宝に会いに行く [歴史・古代史]

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。

今回は継続投稿中の2022三沢基地航空祭のレポート記事を1回お休みして9月4日(日)に
八戸市にある是川(これかわ)縄文館を見学した記事をUPさせていただきます。
1回で記事にまとめたのでちょっと長くなっていますので悪しからず

八戸市にある是川遺跡ではあの国宝が発掘されて有名になった遺跡なんです。
いつかは見てみたいと思っていたのですがちょうどこの日の午前中に六戸の七百鉄道記念館を見学したのでちょっと足を延ばして是川まで出かけてきました。
※七百鉄道記念館の記事はこちら


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是川縄文館の外観
八戸市の埋蔵文化財センターも兼ねていて遺跡からの出土品の調査研究、教育、普及活動の拠点になっています。
もちろん出土品の常設展示もあり体験コーナーやレストラン、ミュージアムショップも併設。
[かわいい]八戸市是川縄文館のHPへこちら

私は同じ南部地域(といっても北端です)に住んでいるのですが八戸には土地勘が全くないのでここまでカーナビアプリで連れてこられましたが改めて場所の位置関係を確認すると八戸市中心部から南西方向の丘陵地に是川縄文館は建っていうようです。


自宅から一般道でここまで約2時間30分ほどかかります。


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建物の入口には2021年に世界遺産登録された”北海道と北東北の縄文遺跡群”の看板(左側)とこの日が最終日となる特別展”行きかう土器とヒト”展の看板(右側)が立てかけられていました。
世界遺産の構成資産のひとつに”是川石器時代遺跡”があります。

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特別展”行きかう土器とヒト”展は興味があった展示だったのでぎりぎり間に合ってよかったです(この日が最終日)
常設展示は入場料250円ですが特別展は別途特別料金が設定されています(今回は300円)


国宝のあれが展示されている常設展示室を見学する前にまずは特別展から


今回の特別展は是川縄文館と弘前大学との共同研究展示ということでした。

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遺跡から出土した遺物(土器等)に含まれる火山ガラスを分析することで各地の地層に含まれる火山ガラスと成分等を比較して土器の生産地をある程度特定することが可能になるそうです。
実際に土器が出土した場所と土器の生産地との間を古代のヒトがその土器を持って移動したということになるので古代人の地域交流の様子を推測することができます。
出土品を科学的分析することによって当時の”土器とヒトの交流を探る”研究が進められています。


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解説パネルによるとこの画像に移っている2つの土器のひとつは是川で見つかったもでもう一方は岩手県の北上川流域で発見された土器です。
土器の形状や文様をみるとこの2つの土器はとてもよく特徴が似ていて地理的にも是川に近い北上川流域で作られて運び込まれた土器だと思われていましたが度おきに含まれる火山ガラスの分析の結果、是川と同じ青森県の津軽地域で作られた土器であると判明しました。
見た目で判断していたら津軽地域と是川のある八戸地域との古代の交流が見逃されていたかもしれません。
土器に含まれる火山ガラスの分析には貴重な土器片を細かく粉砕する必要があるので手あたり次第に土器の成分分析をするわけにはいきませんが外見上の特徴だけで土器の生産場所を特定してしまうのは真実を見誤ることもあるという事例を知れて勉強になりました。


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今回の展示品には土器に含まれていた火山ガラス分析の結果から土器の製産地と出土地についてのPOPが添えられていました。
津軽→三沢とか地元産とか書かれたPOPにご注目。


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こちらは地元産土器だそうです。
八戸地域で出土した多くの土器については地元産であることが分かったそうです。
八戸地域に限っていうと他地域から持ち込まれた土器はある時期、特に津軽地域から持ち込まれた土器が見つかっているようです。


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見学者も多くなかったので解説パネルはすべて写真に撮ってきましたので資料として私の考古学ノートに保存しました。

さて楽しみにしていた常設展示コーナーへ
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釜めしの丼みたいな土器ですこの色は漆が塗られていたから?

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香炉型土器ということです。
面白い形ですね、中国王朝でも皇帝の居室なんかにこんな形状の香炉が置かれていたりしますが実際にこの土器がどのように使われていたのかなぁ?
開口部の大きさにもよりますが私は鳥かごや虫かごの可能性もあると思っています。
珍しい色の鳥、美しい鳴き声の虫なんかは神聖なもので儀式の演出用に使っていたりして・・

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テーブルマナーとかもあったりして・・

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これもよく出土する形式の土器なのですが最近見学した展示会で土器の器の”ふた”だったのかもという話を聞きました。

土偶もたくさん展示されていました。


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あれ?近所のあの人のご先祖様かも?

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自転車の前かごに乗せたら月夜に空を飛べそうな土偶


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この後この土偶に似た国宝の展示室へ・・・


ここ是川遺跡で発見された遺物の中で最も有名で国宝指定されているものといったらこれです。
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平成9年に八戸市の風張1遺跡で出土した合掌土偶は平成21年に国宝に指定されました。
是川遺跡からの出土でなく川を挟んだ対岸の風張1遺跡からの発見されています。(上の画像は発見時の様子)

さすがに国宝なので展示は独立したスペースを与えられています。
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ちょっと暗めな展示室にケースに入れられた合掌土偶が鎮座まします。

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展示室に飾られた国宝指定書

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じゃぁ~ん、国宝 合掌土偶
これに会いたかったんですよ~いやぁようやく願いが叶いました。
土偶としてはかなり有名な合掌土偶ですのでメディアを通じて皆さんご覧になられたことがあると思います。
両の掌を合わせてが”合掌”ポーズをとっているように見えますが実際、縄文人はどういう場面を土偶の形に残したのかは不明です。
女性の出産シーンを模したものでは?という説もあります。
出産時に天井から下げられた紐にしがみついて踏ん張っているのだどそうです。
きちんと服を着ているようにも見えるのですが縄文時代って出産時もきちんとした身なりをしていたのかなぁ?あと妊婦のような体型にも見えないです。
ここまで細かい描写をした土偶で実際の光景とは違うものを形にするって考えにくいんだけど・・
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背中側の様子
頭頂部に貫通穴が見られるのでキーチェーンみたいに紐を通していたのかなぁ?

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真横から見たところです。
妊婦には見えないですよね~

誰も国宝展示室にいなくなった隙にiPhoneのレンズを展示ケースに密着して余計な照明の映り込みを極力少なくして撮影しています。
数分間にわたり国宝を独占状態だったのでたくさん撮りました。
監視カメラのモニターをチェックされていたら係員が駆けつけてきたかも・・
十分に合掌土偶と1対1で対話する時間もとれて大満足のご対面でした。

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昼食を食べずに見学していたので展示室を出て同じ建物内にある”これカフェ”にて縄文カレーセットを注文(700円税込み)を堪能。
カレープレートのほかに八戸らしく”せんべい汁”のお椀も付きます(コーヒー付き)
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カレーのライスには古代米が使われていました。
お赤飯みたいな色でもちもち食感がカレーと合いますよ
普通に美味しいカレーで期待以上に満足(もう少し量が多くてもいいなぁ)
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せんべい汁はやはり地元の人が作ってくれる味が一番です。
ものすごく美味しい出汁でした。
単品で提供してもらいたいほどです(本当に美味しかった)
※せんべい汁とは南部せんべいの薄焼きを鶏肉や野菜のあつあつの出し汁に入れて食べる郷土料理
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お土産は超極小サイズの合掌土偶(小瓶入り)とマスコットキャラの”いのるん”のパッケージの米粉クッキー

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台紙にスタンプを押して帰路につきました。





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以前にも愚痴をこぼさせていただいた”SSブログに移行する前のSo-netブログでは記事作成中の自動保存機能があったのにSSブログでは自動保存機能が見当たらない”について自己解決しました。
まずはやはりSo-netブログでは2017年ころに記事作成中の自動保存機能が追加装備されていました(他の方の記事に言及アリ)がSSブログではこの機能は使えないようです。
使えない仕様ならあきらめるしかないです。

私はブラウザはChromeを使っているのですがタブをたくさん開いているとメモリー解放のためなのかメモリー使用量が増えると開いているタブを再読み込みするようになっているみたいです。
タブを閉じるのではなくタブをリセットしてメモリーを解放するので書きかけの記事はここで保存していた状態までリセットされてしまいます(セーブポイントに戻るのです)
勝手にメモリー解放をしないchromeの拡張機能というのを導入してみましたが結局メモリー負荷が高くなるとクラッシュするので同じ事になったので削除していしまいました。
多くの方がメモ帳アプリなどで書いた記事を張り付けているというようなブログの書き方は自分には不向きなのでやはりこまめな保存しかないのかなぁ

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むつ市の遺跡 酪農(3)現地見学会に参加(3) [歴史・古代史]

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むつ市の酪農(3)遺跡の現地見学会の続編(その3)です。


環状列石は葬送の場と考えられていると書きましたが葬送の場と同時に”生”へに対する祈りの場でもあった可能性があるそうです。

DSC09823.jpg
こちらの画像は配石遺構を写したものです。
左下の大きな礫(レキ)ではなく説明員の方が指している部分に注目。

DSC09824.jpg
当該部分を拡大。

 この部分、小さめの石を円を描くように並べてその中心に土器を埋めて傍らに石柱(折れて転がっています)を立てているそうです。
 縄文時代、土器は女性を表して石柱は男性を表していたのではないかということでこの配石遺構は”生”を「出生」の祈りのシンボルであたかも知れないとのことでした。
 環状列石遺構は死者を弔う葬送の場と”生”を表すシンボルが同じ場所にあるというのはまさに”生と死”のサイクルが延々と”円”のように繋がっていくことへの畏敬の気持ちを表す場、将来の反映への祈りの場であったのではないでしょうか?


ここの遺跡のメインは環状列石遺構になりますが環状列石の周辺部からは竪穴建物跡や掘立柱建物跡なども見つかっています。

DSC09832.jpg

DSC09837.jpg


この遺跡が発見された周辺は植林がされている場所でその際に重機などが使われ遺跡の一部も破壊されていると思われるそうです。

環状列石の使われた礫(レキ)も本来はもっと埋まっていたのかもしれません。

DSC09834.jpg
このように発掘現場に残る重機の爪痕もしっかりと”出土”しました。

ちょっとしたの作業レベルでのトラクターや耕運機で土を掘り返すくらいでは青森県の場合は遺跡の地層まで到達することはまれなのだそうですが長いもの収穫に使う深堀りのイモ掘り機や建設用重機などは機械の爪先が遺跡のある層まで届いてしまうそうです。
 こちらに遺跡は今のところこれ以上の大発見がなければ予定通り崩されて下北縦貫道(下北道)の道路の下になるそうです。


遺物は段ボール箱で300箱分が出土しているそうですがその一部を見せていただきました。
DSC09842.jpg
こちらは土器片


DSC09845.jpg
これは土偶で人面のようですね
なんか身近に似たような顔の人を知っています。

この土偶のモデルの子孫かもしれませんね


IMG_0748.jpg
こちらも土偶ですが動物を象ったものです。
はじめ猪かと思ったらどうやら熊のようです。

IMG_0753.jpg
土器の把手部分についていたのではないかということでした。
土器片も、土偶も触ってもいいといわれましたが怒れ多くて触れませんでした。
今でもこの遺跡の周辺には野生の熊が出没するのですが遺跡の調査中にも崖の上から熊が滑り落ちて来たそうです。
縄文時代には熊は食用にもなったそうですが獲るのにはやはり縄文人は命がけだったと思います。


そして個人的には一番興味を持った遺物がこれです。

IMG_0755.jpg
丸い皿のようなものに4本の脚のようなものが刺さっています。
ちゃぶ台をひっくり返したような土器です。


DSC09846.jpg
まずお皿のような部分の土器片が見つかり組み合わせてみたら
ところどころ穴が開いていてその後周辺から4本の客のようなものが見つかり
試しにそれを皿の穴の開いた部分に挿してみたらピッタリと合わさったそうです。
皿と脚部は当時の接着剤のようなもので固定されていたような跡もあるそうです。
 脚部を下にしてちゃぶ台の形にしてお供え物の器の様に当時も使っていたのか?

と考えてみましたがお皿の部分は画像にある面が裏面よりも明らかにきれいに成型されていてちゃぶ台のように使うとその天板面がちょっと雑な仕上がりになっちゃうそうです。

 脚部を上にして使っていたとするといったいに何に使ったのか皆目見当がつきません。
この土器について埋蔵文化財調査センターの方といろいろお話しすることができて楽しい時間を過ごせました。
自分は何かの建物のミニチュアで集団で作業する際の設計図のようなものでは?という仮説をたてました。

センターの職員の方は特に否定もせず、うんうんと頷いてくれましたがいつの日かこの土器の使い道がわかる日が来るのかなぁ?

古代遺跡は本当にロマンがありますね



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