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二ツ森貝塚 [青森の話題]

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。

先日ユネスコの世界遺産の国内推薦が決まった"北海道・北東北の縄文遺跡群”を構成する遺跡の一つである”二ツ森貝塚”に立ち寄りました。

青森県には三内丸山遺跡の他にも縄文時代の遺跡が複数あって我が家から一番近い遺跡がここ七戸町にある二ツ森貝塚です・・といっても県内でもあまり認知されていないというのが実情でわざわざここを訪れるという人は少ないと思います(少なくとも私の周りにはいません)。

私は以前から名前は知っていたのですがなかなか立ち寄る機会に恵まれなかったのですが最近私がよく通るようになった道から少し入った場所にあるようなのでちょっと寄り道をして立ち寄ってみました。

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二ツ森貝塚は今から5,500年~4,000年ころまで1,500年ほど続いた縄文前期~中期の定住集落跡で貝塚も同じ場所で発掘されています。
年代的には三内丸山遺跡と同年代。

人々がここで暮らしていたころは現在の小川原湖は太平洋に接する湾として海岸線(湖岸線)は現在よりもかなり内陸にあったようです。

この二ツ森貝塚は現在は台地の上に位置していますが当時はちょっとした岬のようになっていてすぐ脇の海岸まで下れば豊富な魚介類が手に入ったと思われ貝塚からはハマグリ、ホタテ、牡蠣、シジミなどが出土しています。
現在の小川原湖はシジミ漁が盛んで私もこの付近の道路を通る理由の一つが新鮮なシジミを買い求めるためなのです。
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▲当時の海岸線の解説板
ここは木の実や魚介類が豊富に間近で手に入る”まほろば”だったとのこと


1-IMG_7059.JPG
現在の二ツ森貝塚はこんな感じで道路脇に広がった草地といった印象です。
この道路自体はあまり交通量も多くなく地元住民の生活道路といった様相で交通の便は至極良いのにあまり知られていない要因になっているようです。
二ツ森貝塚は国の史跡に指定されていてこの草地は遺跡の東地区にあたり史跡公園となっています。
史跡公園の中央部に竪穴式住居の復元モデルが建っているので何も知らずに偶然この道を通った人は驚くかもしれません。

ちなみに二ツ森遺跡の西側地区も国の史跡に指定されていますが現在は集落が存在する私有地が大部分を占めているように見えます。
縄文時代の遺跡の上で暮らしているなんてどんな気分なのかなぁ~


1-IMG_7055.JPG
この史跡公園には道路を挟んだ反対側に見学者用のわずかな駐車スペース(自家用車サイズ)があるだけで特にこの遺跡の出土品等を展示している建物はありません。
代わりにこのプレハブ小屋(案内所)に遺跡を紹介するパネル展示とパンフレット類が置かれていました。
常駐の案内人とかはいない模様で室内は蒸し風呂状態[あせあせ(飛び散る汗)]なのでパンフレットを数種類もらって退散。
出土品等の一部は七戸町の公民館で展示されているようですがここからはちょっと離れているので車で移動しないといけませんようなので今回はパス(もらったパンフレットで確認するのみ)
案内所の脇に展望台がありましたが全体を一望する意味もなさそうな広さの史跡公園なので展望台には上がらず遺跡公園の中央にある復元された竪穴式住居まで歩いてみました。


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この二ツ森貝塚では道路の遺構も見つかっているようですが案内所から復元された竪穴式住居へと続くこの道がそうなのか?

右側の林のあたりで台地は終わり崖になっています。
よーく見ると林に向かって傾斜していますね
発掘の形跡はもうよくわかりません。埋め戻したのかなぁ?
やはり現地に出土品の展示施設があったらいいのに・・・


1-IMG_7052.JPG
復元展示されている竪穴式住居は2棟のみでちょっと寂しい感じです。
もし世界遺産に認定されたらもう少し展示や解説方法を考えないとちょっと物足りません。
三内丸山は現在では県内を代表する観光名所となって立派な展示施設も隣接してちょっとした縄文テーマパークのようになっていますが遺跡規模を考慮してももう少しこちらはなんとかならないものか?
バスの駐車スペース程度の整備は早急にした方がよいのでは?

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復元された竪穴式中のの内部です。
私はこの手のものはかなり見学しているので正直それほど新鮮な発見はありませんでした。


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頂いたパンフレットの表紙にもなっているこの鹿の角でできた髪飾り(櫛)がこの遺跡を代表する出土品のようです。

左右対称(シンメトリー)というのが当時の美的センスを代表するデザインなのかなぁ~

食料を採取できないような荒天の日に竪穴式住居で誰かが一生懸命に作ったのかなぁ
ヒスイや角のような固いものに長い時間をかけて穴をあける行為自体が当時の人々にとって特別な価値のある行為(生産物)だったとかなんかの本で読んだなぁ


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もう一つこの二ツ森貝塚で発掘された有名なものに子犬を手厚く埋葬した形跡があります。
当時から犬は人間に身近な狩猟の際の相棒でケガをした犬も大事にケアして天寿を全うさせていた形跡もあるようです。(骨折の治癒痕とかでわかるらしい)
ケガをしてうまく働けなくなっても餌を与えて飼い続けていたようです。


ちょっと遺跡のある地形について説明。
前述の通りこの遺跡は台地の上にあります。1-IMG_7063.JPG
グーグルアースの3D衛星画像でみると現在の小川原湖西域によくみられる台地の端部付近にこの二ツ森貝塚はあります。(画像中央の開けた平地部分)
この台地の先端部は当時の海面が今よりも高かったので台地の周りは海ということになりまさに岬だったと思われます。

上の画像で台地の周りの平野部(当時の海面)には田畑が広がっています。
古代の集落遺跡というと川のそばの開けた土地というイメージが私にはあるのですが農耕が本格的に始まる縄文のこの時代でも飲料水の確保というのは必要だったはずですが川筋のない台地の上でどのやって飲み水を確保していたのか?
現在の小川原湖は吃水湖ですが当時は湖ではなく海(湾)でしたので真水の確保は湾(小川原湖)に注ぎ込む川まで汲みにいていたのかなぁ?
それとも台地を下って海岸線付近に湧き出る湧き水でもあったのかなぁ?
ブラタモリで調べてくれないかなぁ?


下の画像は遺跡を含む周辺の広域画像です。

二ツ森.JPG
画像の右に広がる水面が現在の小川原湖です。
画像の左から小川原湖に注ぎ込むのが七戸川(高瀬川)で右下の道路が交差するあたりが旧東北本線(現在の青い森鉄道)の駅で周辺部はここら辺では人口が集中してる地区。
一方、遺跡のある左側の地形は細長い台地が幾筋もあります。
水面が上昇したらこの辺りは三陸のようなリアス式海岸になっちゃいそうです。
面白いのは周辺に広がる平地部には現在でも集落があまりなくて田畑として利用されていて台地の上のわずかなうsペースに道路が通り現在でも集落が点在しています。

まとまった平地がない狭い台地の上に現在も人が住み続けているのがちょっと不思議。

湖周辺の平地は低湿地なので灌漑(排水)をして農耕には何とか利用できたけど人が住むのには向かなかったのかなぁ?全然このあたりの町史とか知らないので勝手に想像そています。


遺跡自体は報道によると国内推薦候補になってもユネスコの審査にどう対処していくのか?難関だそうです。
しかしそうなれば二ッ森の住民の皆さんは世界遺産の上で暮らすことになるんですねぇ~羨ましいけど家の増改築とかいろいろ規制を受けそうで心配。






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