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三内丸山遺跡② [歴史・古代史]

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。
2024年4月18日(水)に青森市内まで通院した際に立ち寄った三内丸山遺跡の2回目の記事になります。
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遺跡が見つかった当初は今のような立派な展示施設もなくこの石碑の後ろに見えている施設が唯一の屋内展示施設(現在はトイレ棟)で画面右手奥に高速道路のICに隣接する形で駐車場があったのでここが以前の遺跡の入り口でした。


三内丸山.JPG
上の画像を拡大すると三内丸山遺跡の位置関係がよくわかります。
県の運転免許センターに隣接する敷地に県営の野球場を建設する工事をしていたらとんでもない縄文時代の巨大集落が見つかりました。
それまでは三内(三内)という土地は青森市民にとっては市営霊園(三内霊園)のある土地としてよく知られていたエリアでした。
霊園があるという事から青森市郊外というロケーションがわかると思います。
こうして見ると陸奥湾(青森港)を望む高台に遺跡が位置していることがわかりますね
縄文海進(気候変動により海水面が上昇した時期)の頃は入り江などが遺跡近くまで入りこんで漁労も比較的容易だったのでしょう


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▲縄文土器を模(かたど)った水飲み場、冒頭の石碑近くにありました。

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縄文土器を模(かたど)った水飲み場から遺跡を見渡したところです。
こうして見ると今でも建売分譲地とかで売り出してもかなり人気が出そうな場所ですね
ただ上空を青森空港を離発着する旅客機がかなり行き交うので意外と賑やかです。
遺跡&飛行機好きの自分にとっては最高の居場所ですね[るんるん]

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ここで前回もご紹介しました地元の小学生による版画の大作を再掲。
ここにムラがあったころもこのような賑わいがみられたことでしょう。
上の版画の画像はクリックで拡大して細部まで是非じっくりご鑑賞ください。

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復元住居や建物の背景に送電線の鉄塔が見えちゃうのは何とも興ざめですけど流石に地中化は無理か?

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遺跡の敷地内には桜はほとんで植えられていないのですがわずかに数本あった枝垂れた桜の花越しの大型掘立柱建物(復元)

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三内丸山遺跡のシンボル的存在がこちら
見つかったクリの樹の柱の穴(柱穴)は6本分ですので発掘された柱の残骸の直径から柱の高さを割り出すとこのような高さを持つ建物だった可能性があるそうです。
途中の床部分は想像によるもの?

この日は平日でしたが屋内施設も屋外施設も結構賑わっていました。
この場所で小さな娘さんを連れた中華系の観光客の若いお父さんに記念撮影を頼まれました。
ところで”[カメラ]ハイチーズ”って万国共通?通じるの?

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屋内展示施設には上の画像の大型掘立柱建物の発掘された柱の一部が展示されています。
発掘時の状況と天地逆に展示しているので見えている側が実際には柱の底側です。

石器を使った整形の痕跡が見られます。
三内丸山の一部エリアではこうした遺物が原形をとどめて発掘されるような適度に湿った土壌があります。

空気と遮断されることにより奇跡的に保存効果が高くなっていたようです。

夕方近くになってもまだまだ空は明るいのですが6時過ぎに上映の映画を観るためにそろそろ移動しないと・・土地勘がない場所なのでカーナビアプリ頼りの移動です。


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おまけ
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三内丸山遺跡を訪れた前日に県南地域の三戸町に親戚のお見舞い行った際に病院の敷地にあった遺跡。
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病院の建設時に発掘された”沖中遺跡”で出土した配石遺構を復元したものが病院の敷地にありました。
植栽の一部と化してしまって何度か訪れていますが今回初めて注意深く見学

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近くによっても遺跡感があまりないですね
放置された花壇の残骸のようにも見えますよね~
どうやら縄文人のお墓ではないか?ことでした。
この遺跡からは”おくるみ”に包まれたような赤ちゃん土偶も見つかっているようです。


県内各地に遺跡がありますが歴史的にみても長い間にわたり過疎地であったことで各時代に開発が進まずにいて今ではこうした遺跡の発見につながっているのかもしれません。
最近は建築確認不要の大規模ソーラー発電施設の建設が盛んでもしかしたらソーラーパネルの地中に大発見が眠ったままになっているかもしれません。

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