むつ湾200マイルレース [青森の話題]
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前々回の記事で自宅近くに50年ほど前に存在した幻のサーキットをご紹介しました。
『近所にあった幻のサーキット』(←クリックで記事へ)
幻のサーキット”むつ湾サーキット”について当時の様子を記録した文献やサイトが驚くほど少ない中、当時開催されたレースの記録をJAFのサイトで見つけることができました。
レース場開設の直後、1973年8月18日・19日の2日かに渡って開催された”むつ湾グランド200マイルレース”の記録が残っています。
前々回の記事で自宅近くに50年ほど前に存在した幻のサーキットをご紹介しました。
『近所にあった幻のサーキット』(←クリックで記事へ)
幻のサーキット”むつ湾サーキット”について当時の様子を記録した文献やサイトが驚くほど少ない中、当時開催されたレースの記録をJAFのサイトで見つけることができました。
レース場開設の直後、1973年8月18日・19日の2日かに渡って開催された”むつ湾グランド200マイルレース”の記録が残っています。
下記リンクをクリックすると当時のレース結果ページへジャンプします
【むつ湾グランド200マイルレース結果】
当時、流行っていた富士グラチャンレース(GC)規格のマシンを集めて開催された200マイルレースで当時国内で一線級のマシンが東北の辺鄙な街のコースに集結しました。
幻のサーキット”むつ湾スピードウェイ”は1973~1974年の営業でしたがJAFのレース結果検索ではこの開設直後に行われた”むつ湾200マイルレース”しか記録が残っていません。
JAFが公認するような規模のレースは後にも先にもこのレースだけだったのかもしれません。
当時の記録からレース開催の2日間の天気は晴れで路面はドライコンディションだったようです。
参加車両は13台で11台が決勝レースに出走。
レースは200マイルを2日間(ヒート1、ヒート2)に分けて1日100マイル(35周)で実施されたようです。
ヒート1とヒート2の結果で総合順位(レース結果)を決めました。
このレースで総合優勝したのは鮒子田 寛(ふしだ ひろし)の駆るシェブロンB21Pというマシンでした。
当時、流行っていた富士グラチャンレース(GC)規格のマシンを集めて開催された200マイルレースで当時国内で一線級のマシンが東北の辺鄙な街のコースに集結しました。
幻のサーキット”むつ湾スピードウェイ”は1973~1974年の営業でしたがJAFのレース結果検索ではこの開設直後に行われた”むつ湾200マイルレース”しか記録が残っていません。
JAFが公認するような規模のレースは後にも先にもこのレースだけだったのかもしれません。
当時の記録からレース開催の2日間の天気は晴れで路面はドライコンディションだったようです。
参加車両は13台で11台が決勝レースに出走。
レースは200マイルを2日間(ヒート1、ヒート2)に分けて1日100マイル(35周)で実施されたようです。
ヒート1とヒート2の結果で総合順位(レース結果)を決めました。
このレースで総合優勝したのは鮒子田 寛(ふしだ ひろし)の駆るシェブロンB21Pというマシンでした。
【むつ湾200マイルレース 決勝結果】
順位 | No | ドライバー | 車名 |
1 | 1 | 鮒子田 寛 | シェブロンB21P |
2 | 27 | 米山 二郎 | シェブロンB21 |
3 | 55 | 津々見 友彦 | デンティーン・シックローラT212 |
4 | 86 | 田島 基邦 | RADOスペシャルB23 |
5 | 30 | 宮崎 英雄 | フェアレディZ432 PS30 |
6 | 9 | 東谷 正香 | フェアレディ240Z HS30 |
7 | 81 | 貝崎 清志 | 柏谷総業スペシャルT290 |
8 | 4 |
北野 元
|
NRDシェブロンB23 |
- | 72 | 沢田 由夫 |
フェアレディ240Z HS30
|
- | 20 | 斎藤 辰毘羅 | ベルコ72A |
- | 8 | 池永 和繁 |
フェアレディ240Z HS30
|
計測記録から1周のラップタイムを逆算すると01:10(1分10秒)と算出。
1周4.5kmのハイスピード・コースという記録がありますがトップのマシンの平均時速を計算すると230km/hになります。
1周4.5kmのハイスピード・コースという記録がありますがトップのマシンの平均時速を計算すると230km/hになります。
このサーキットは海に隣接しているので路面に砂が乗る状況が常だったようなのでこの速度はちょっと驚異的です。
Wikkipediaの記述ではサニークラスで直線で250km/hに迫る速度が出たとあるのであながち計算違いということでもなさそうです。
上の懐かし番組の動画の中でこのむつ湾200マイルレースの様子が記録されていました。
ピットの様子やレーススタート時の様子も見ることができるので上の決勝結果のカーナンバーと画面の中のマシンと照らし合わせてみてください。
動画の中で観客数が3万人という言及があります。
このレースは富士グラチャンチャンピオン(GC)レース準拠での開催だったようですが私はグラチャンは殆ど知識がなかったのでこのレース結果のドライバーや車両について調べたみたらグラチャンに結構ハマりそうになっています。
※〇グラチャンチャンピオンであって
×グランドチャンピオンレースではない
このレースは富士グラチャンチャンピオン(GC)レース準拠での開催だったようですが私はグラチャンは殆ど知識がなかったのでこのレース結果のドライバーや車両について調べたみたらグラチャンに結構ハマりそうになっています。
※〇グラチャンチャンピオンであって
×グランドチャンピオンレースではない
優勝した鮒子田寛氏についても恥ずかしながら私は全然知らなかったのですが前年(1972)の富士グラチャンの初代チャンピオンでした
鮒子田寛さんについては”伝説のレーサー”とか”不出世のレーサー”とか呼ばれる日本レース史のレジェンドということも分かりました。
鮒子田寛氏についてはこのサイトが詳しいです(こちらをクリック)
3位の津々見友彦さんについては私は自動車評論家という面しか存じ上げなかったのですが当時はバリバリのレーサーでした。
トヨタと日産の熾烈なバトルが展開されていた日本グランプリが両メーカーの撤退により終焉を迎えた日本のレース界において次なる人気コンテンツとして登場したのが富士スピードウェイで開催される富士グラチャン(GC)チャンピオン・レースでした。
日本グランプリのようなメーカーワークスからドライバーが主役のプライベーターのレースへと変貌したグラチャンは当時の国内のレース人気の中で盛り上がりを見せました。
鮒子田寛さんについては”伝説のレーサー”とか”不出世のレーサー”とか呼ばれる日本レース史のレジェンドということも分かりました。
鮒子田寛氏についてはこのサイトが詳しいです(こちらをクリック)
3位の津々見友彦さんについては私は自動車評論家という面しか存じ上げなかったのですが当時はバリバリのレーサーでした。
トヨタと日産の熾烈なバトルが展開されていた日本グランプリが両メーカーの撤退により終焉を迎えた日本のレース界において次なる人気コンテンツとして登場したのが富士スピードウェイで開催される富士グラチャン(GC)チャンピオン・レースでした。
日本グランプリのようなメーカーワークスからドライバーが主役のプライベーターのレースへと変貌したグラチャンは当時の国内のレース人気の中で盛り上がりを見せました。
レース参加車両で馴染みのある名前はフェアレディくらいですが各車について調べてみるとこれまた面白い。
とくに私が興味を惹かれたのがカーナンバー#20のベルコ72Aというマシンは板金工場が製作したGC仕様の2座席レーシングカーです。
現在も株式会社ベルコとして特殊車両の車体製造も手掛けているようです。
ベルコ72Aについては同社のHPにスズキバンキン72Aとして記述があります。
(株)ベルコのHP・ベルコの軌跡(こちら)
1970年に開発されたスズキバンキン(ベルコ)72Aは新たに始まる富士グラチャン(GC)レースをターゲットにしたマシンだったと思われます。
ここら辺はもう少し勉強しないと・・・
恐らく今回の記事では自分よりも上の世代のモータースポーツファンの方には懐かしい名前もあったのではないでしょうか?
地元の人の中でこのレースを現場で観ていた人がいないか今後調査してみようと思います。
観客数3万人が事実ならとなり町でのこのビッグイベントに当町からも参加した人が多かったはずと推測します。
とくに私が興味を惹かれたのがカーナンバー#20のベルコ72Aというマシンは板金工場が製作したGC仕様の2座席レーシングカーです。
現在も株式会社ベルコとして特殊車両の車体製造も手掛けているようです。
ベルコ72Aについては同社のHPにスズキバンキン72Aとして記述があります。
(株)ベルコのHP・ベルコの軌跡(こちら)
1970年に開発されたスズキバンキン(ベルコ)72Aは新たに始まる富士グラチャン(GC)レースをターゲットにしたマシンだったと思われます。
ここら辺はもう少し勉強しないと・・・
恐らく今回の記事では自分よりも上の世代のモータースポーツファンの方には懐かしい名前もあったのではないでしょうか?
地元の人の中でこのレースを現場で観ていた人がいないか今後調査してみようと思います。
観客数3万人が事実ならとなり町でのこのビッグイベントに当町からも参加した人が多かったはずと推測します。
大きなレースが開催されてたんですね^^
by ぽちの輔 (2022-01-27 11:53)
半世紀前は、モータースポーツが人気だったんですね。
今は、人が走る陸上競技が人気なのかな??
by mayu (2022-01-27 16:56)
こんにちは。
「むつ湾200マイルレース」JAF公認の貴重なレースだったようですね。2日間実施も珍しい感じ、海外ならキャンプして観戦するレースですね。小生がFSWに足を運んだのは80年代後半。70年代はイケイケGOGOの経済成長期、モータースポーツも活気あり面白かったと思います。また、株式会社ベルコまで見つけ出し?ナイスです!?(=^・ェ・^=)
PS.「おめでとう」コメント、感謝です。
by Boss365 (2022-01-27 16:59)
昭和の勢いは凄かったですね。
今とは違うなー。
by kou (2022-01-27 17:06)
モータースポーツにはかなり疎いので良く分かりませんが富士スピードウェイには行った事が有ります。
by kousaku (2022-01-27 17:15)
昭和のモータリゼーションの象徴のようなサーキット
だったのかな?
出場してる車のフェアレディが多いのも時代を感じます。
by 響 (2022-01-27 17:32)
自分が中学生時代でカーレースに興味を持ち始めていましたが、むつ湾サーキットが盛大に行われていたのは知りませんでしたね^^;
by KINYAN (2022-01-27 17:35)
こんばんは、
面白いです。いろんな情報が集まると良いですね。
ファンタジーかもしれないですが、こういうサーキット復活させてくれる夢のある人が現れないですかね。
by Azumino_Kaku (2022-01-27 19:38)
そうですよね
前の記事でレイアウトを見せてもらいましたが
常に砂が乗っている状態ですよね
それで、これだけのスピードが出るとは
日本のレースは、当時からレベルが高かったのですね。
by 八犬伝 (2022-01-27 20:43)
レースの復活を熱望します(^^♪
by yamatonosuke (2022-01-28 01:48)
お早うございます、吾妻山散歩(菜の花と富士山)に
コメントを有難うございました。
むつ湾観光牧場にレース場は併設されていたんですね、
本格的なレースが開催されていたのに驚き、映像に出て
くるお猿さんが可愛かったです。
by tarou (2022-01-28 08:03)
ぽちの輔さん
そうなんですよ
でも4輪ではこれが最大のレースでほとんどこれで大きなレースは終わってしまった感じですね
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:41)
mayuさん
当時のモータースポーツ人気は今では想像もできないくらいでしたね
このレースの2か月後に第1次オイルショックでモータースポーツを巡る環境は一変してしまいました。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:43)
Boss365さん
トヨタVS日産の日本グランプリが終わってしまった後に登場した富士グラチャンは伝説のレースになりました。
70年代のモータースポーツ熱はオイルショックもありましたがヒートアップしていましたね
子供のころは地上波でもレース中継がよくありました。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:45)
kouさん
現状を成熟というのか分かりませんが当時の熱気は今の若者には想像できない世界ですね
自動車産業で飯を食っているような日本社会なのにモータースポーツへの理解が進まないのが歯がゆいです。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:48)
kousakuさん
富士スピードウェイを中心にこのころ人気だったのが富士グラチャンチャンピオンレースで今回のレースの参加車両も参戦していました。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:49)
響さん
こんな田舎の辺鄙な場所にサーキットを建設するなんて当時のモータースポーツバブルのパワーを感じます。
240ZGのタミヤのプラモも欲しくなりましたが自重します。
ケンメリGTRと117クーペを先に完成させないと・・
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:52)
KINYANさん
実は私も最近知ったのですが陸奥湾サーキットにはカートコースも併設されていたようでJAF公認の国内初のカートプリが行われたのがここだったそうです。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:55)
八犬伝さん
やはり事故も多かったようです
最終コーナーが鬼門だったみたいですよ
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:58)
Azumino_Kakuさん
鉄腕ダッシュとかの番組企画で復活できないかなぁ~
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:58)
yamatonosukeさん
ダートやバギーのコースならなんとかなるかなぁ~
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 10:58)
tarouさん
子のお猿さん、動物園閉鎖後に脱走して天然記念物の北限のいニホンザルと交配するのではないかと大問題になりました。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 11:02)
富士グランチャンピオン、とても懐かしいです。
マーチ、ローラ、シェブロン、GRD、シグマ、ベルコのシャーシに、BMW、フォード、三菱、マツダロータリーのエンジンを搭載したマシン、カッコ良かったです。F1よりはるかに熱中しました。
元トヨタワークスでトヨタ7もドライブしていた鮒子田寛さん、大好きなレーサーでした。1975年にMakiからF1に参戦しましたが、一度も決勝に進出できなかったことが残念です。
by 芝浦鉄親父 (2022-01-28 13:25)
昭和46年の動画を見ました。私の苦学生時代で、貧乏時代でした。わずか3年で撤退とは・・・。残念でしたね。同時代に生きていても世界が全く異なりますね。
by hide-m (2022-01-28 13:50)
レースには全く疎い私ですが鮒子田寛氏の名前は聞いたことがあります^^
by ロートレー (2022-01-28 15:25)
芝浦鉄道親父さん
私は鮒子田さんの経歴を調べていて日本人F1ダライバーの始祖ということを知りました。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 17:45)
hide-mさん
このころは日本中にレジャーブームが巻き起こっていたようですね
このサーキット周辺は今でも宅地化もされずに原野が広がるエリアで流石にここにレジャー施設は無理だったと思います。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 17:48)
ロートレーさん
鮒子田氏の経歴を見てみると当時はちょっとした有名人でF1やル・マンにも参戦しているのでレース好きでない方でもきっとその名前がお耳に入ってのでしょうねぇ
まだご存命でご活躍されています。
by 青い森のヨッチン (2022-01-28 17:50)