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考古学者・設楽博己さんの『顔の考古学 異形の精神史』を図書館で借りてきて読みました。

昨年の10月にNHK「英雄たちの選択」の古代史スペシャル特番で放送された
「追跡!古代ミステリー “顔”に隠された古代人のこころ」という放送回が面白かった。(録画して何度も視聴しています)
歴史好きとしてはNHKの歴史番組は「歴史への招待」時代からお気に入りです。


番組内で”縄文や弥生時代の土偶や壺(甕)に表現された顔の”文様”がどうやら入れ墨である”という話題に興味を持って番組にも出演されていた設楽先生の著作を読んでみたいと思ったのでした。
こちらの『顔の考古学 異形の精神史』は第8回古代歴史文化賞を受賞された話題作でした。
恐らくNHKの番組への出演もこの話題作の著者としての出演だったのかも?
入れ墨を入れた顔のことを”黥面(げいめん)”というのだそうで。
ちょっと難しい字なので拡大するとこういう字です。
フェイスペインティングでなく痛みを伴う入れ墨であることが古の人にとって重要だったとのことです。
縄文人は出土した頭蓋骨などから健康な歯を抜歯する習慣があったことが知られています。
ちょっとぞっとする話ですが通過儀礼的なものだったらしく痛みに耐えてこそのものだったようで顔への入れ墨もこうした要素があったのでは?と考えられています。
海外でもどこかの民族で成人式にバンジージャンプみたいな行為をするところがありましたね
近代でも北海道のアイヌ民族で女性の顔にやはり入れ墨をする風習がありました。
この本の中で黥面が縄文~弥生~古墳~律令時代を通じてどう変化して廃れていったのか?についての考察が書かれています。

黥面とは別に”方相氏(ほうそうし)”という古代の宮廷の役(職)についても触れられていて節分の鬼の起源では?という話はなかなか興味深いものがありました。
4つ目の面を被り手には盾と戈(か:鎌のような武器)を持って宮中の魑魅魍魎を追い払った方相氏がやがて追われる側の節分の鬼になったという話です。
この方相氏の姿は今でも一部の神事などで見られるようなので皆さんももし鬼の面が4つ目だったら”方相氏がモデルかなぁ~”とぜひ注目してみてください。




顔の考古学: 異形の精神史 (514) (歴史文化ライブラリー)



  • 作者: 博己, 設楽

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館

  • 発売日: 2020/12/17

  • メディア: 単行本






ちょっと紹介が遅れましたが私の住む町の遺跡から出土した縄文時代の遺物の展示会『縄文の祈りと桧木遺跡が町の教育員会主催で開催されました。
道の駅に隣接する”どんどりの里”という郷土館のような施設で開催されました。
会期としてはむつ市で開催された“地元の縄文”の展示会のあとでした。
(令和4年9月27日~10月8日)



メインの展示遺物が出土したのは桧木遺跡という町の桧木地区にある遺跡で私が中学1年くらいの時(昭和57年)に町の教育委員会で発掘調査が行われた遺跡です。
当時私は川崎で暮らしていたのですが夏休みに田舎(この町)に遊びに来た際に銭湯の脱衣場に発掘調査のチラシが貼られていた記憶があります。
「ここにも遺跡があるんだ~」と感じたのを覚えています。

桧木遺跡からは縄文時代後期~晩期の遺物が多く出土したようで遺構は発見されず遺物のみの出土で状況からこの時代のゴミ捨て場のような場所だったとか・・
出土品の中でもクマ型突起付土器(縄文晩期)は有名で青森県の縄文カードにも町の代表として選ばれています。

▲縄文カード 2頭のクマがこちらを見ています。


こじんまりとした展示スペースですが隣の六ケ所村から学芸員の方が出張解説に来られていていろいろお話を聞くことができました。
その会話の中で桧木遺跡から製塩土器のカケラが見つかっているということに触れかつては陸奥湾でも製塩が行われていたというお話は新鮮でした。
製塩ってもっと天候が穏やかな地域というイメージがあったのでこの北国で製塩?って意外でした。(後日、調べたら確かに陸奥湾沿岸で製塩が近世まで行われていたようです)
この町でも昭和初期ごろに確かに塩田があったという年配の方の証言もあるようです。(私は初耳)


会場で手に触れることのできる遺物の展示もあり土器片を触らせてもらいました。
土器片の中に#59130;キラキラ光る鉱物が点在しているのがわかりますか?

土器の製作中に使用した土に混ざっていた場合もあるし装飾のためか会えてこうしたキラキラした鉱物を混ぜて焼かれたものもあるそうです。
展示ケースの中では光線の反射の加減であまり目立ちませんがこうして自分の手で光の当たり具合を調節してやると#59130;キラキラと反射してきれいです。


この建物のすぐ東側が実は”林ノ脇遺跡”があった場所で現在は遺跡は取り壊されて下北半島縦貫道路の建設の真っ最中です(展示会場の2階の窓から撮影)
ダンプカーが走る下に遺跡がありました。
展示会場になっている「どんどりの里」の”どんどり”とは地元の人がこの周辺の里山をこう呼んでいるところから採られたようですが”どんどり”とは”道具採り(どうぐとり)”が訛ったもので昔から農耕道具などに使う素材(木材など)を取りに入った山だったそうです。
縄文人にとっても何かと生活に欠かせない場所だったのかもしれませんね


2回の展示スペースは同時開催の『民具展』


昔使われていた農工具や漁具、生活用品の展示が行われていました。
ちょうど地元の小学生が校外学習で来館したので賑やかになり会場を後にしました。
今回の遺物展示は常設展示ではなく普段は廃校になった学校に保管されているようですが貴重な資料なのでぜひ常設展示の道を探って欲しいと思います。