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2022年7月16日、自動車ジャーナリスト&フォトジャーナリストの三本和彦氏が亡くなられました。
享年90歳とのことです。

よほど自動車好きの方以外は彼の名前をご存知ないと思います。


私にとってはとても影響を与えてくれた方でした。
彼が司会をされていた自動車情報番組”新車情報(TVK)”は青春時代の自分と当時のクルマたちを結び付けてくれた大切な番組でした。


実はスカイラインを「羊の皮を被った狼」と初めて形容したのはこの方なんだそうです。
(※もともとは聖書の記述なんだそうですが)
訃報に接し日産自動車さんが改めて公式に認めています。
東京新聞の写真部記者時代に彼が書いた記事でスカイライン2000GT(1964)を彼がこう言い表したのが最初なんだそうです。
日本グランプリでの勝利を目指し4気筒エンジンのクルマを無理やり6気筒のパワフルエンジンに換装したものをこう表現されました。
以後、大人しそうな外観のクルマでも心臓部であるエンジンがとてつもなくパワフルなホットモデルをこのフレーズで言い表すことが定着しました。
日産ものちにTVCMで”このフレーズ”を使っています。

日本の自動車産業の歴史の中でも彼のようなジャーナリストは稀有な存在だったと思います。
残された多くの記事や新車情報の番組内でのメーカーに忖度しない姿勢、時折見せる鋭い指摘はジャーナリストとして一級品でした。
青森に越してしまったので2002年以降の数年はこの番組を見ることが出来なくなりましたが時折クルマ関連のニュースでインタビューを受けているお姿をお見掛けしましたが最近は・・
最期は都内の施設でお亡くなりになられたそうです。

ここ最近ではあのニュースよりも個人的に一番衝撃を受けた訃報でした・・・合掌


以下、ちょっと長文になります。


今回、彼の訃報に接し改めてWikipediaで彼について調べたら仕事のスタートはクルマではなく写真だったということを知り驚いています。(国学院大卒業後に東京写真大学も卒業※現東京工芸大学)
#59128;三本和彦Wikipedia(こちら
ちなみに奥様は写真家・上野千鶴子(故人)で経歴からすると国学院大の同期のようです。
※社会学者の上野千鶴子さんと同姓同名

東京新聞の写真部記者(1956-67)をしながら老舗自動車誌”カーグラフィック”にカメラマンとして携わりその後フリーのフォトジャーナリスト、モータージャーナリストとして活躍。

1977年からはあの”新車情報”の司会者として28年もの長きにわたり毎週、発表されたばかりの新車の数々をスタジオと試乗ロケで紹介してくれました。

私は神奈川県に住んでいたので番組制作のTVK(テレビ神奈川)はUHFのアンテナを立ててまでもよく見ていました。
当時(中学生のころ)は国内外アーチストのMVを紹介する番組を中心に観ていました。
TVKでも人気番組でした。


ちょうどそのころ学校の技術の授業で自動車のエンジン(4サイクル)の構造を習っていて機械好きとしては授業ではあるもののけっこう楽しく勉強していました。
内燃機関って面白い!
当時の川崎には、いすゞ自動車の工場があって授業で使うプリントの図解はいすゞの資料だったように覚えています(多分先生のつてで入手)

当時我が家にはマイカーなんてなかったので車に触れる機会はほとんどありませんでした。

高校に入るとオートバックスのピット作業のアルバイトをしながらいろいろなクルマに触れました。
下っ端バイトの主な仕事はエンジンオイル交換なのでエンジンフードを開けて色々なクルマのエンジンを実際に観ることができました(これは良い経験になっています)。

大好きないすゞの117クーペに出会ったのもこのバイト先でした。

このころは免許もないのに自動車雑誌なんかも時々買って読む様になりそんな折たまたま観ていたTVKのMV番組に続いて例の”新車情報”が目に飛び込んできました。

この番組は関東ローカルのTVKの制作ということもあり地味なスタジオセットのなかに司会の三本和彦さんとアシスタントの女性、そして発売されたばかりの新車(実物)とメーカーの開発陣が並んでいるだけというものでした。
当時はスポンサーがなかなか見つからず制作費があまりかからない番組は出来なものかと曲から打診され「それなら、新車発表会を番組にしちゃえばいいよ」というノリで神奈川県内にあった自動車部品メーカー数社にスポンサーになってもらい番組がスタートしたそうです。
#59128;新車情報Wikipedia(こちら

江戸っ子口調が時々出る三本氏の歯に衣着せぬ物言いに呼ばれたメーカーの開発陣の方々が緊張しているように見えるのが面白かった。

当時、自動車ジャーナリストとしては徳大寺有恒氏が多くメディアに出演されていましたがメーカーの人相手のやり取りでは三本氏には敵いません。

「なんでこんなものつけちゃったんですか?」
「こんなの要らないからもう少し安くで作れませんか?」
「ほかのメーカーができるのにどうしてお宅の会社はやらないの?」とかメーカーのそこそこ偉いであろう開発担当者に厳しい注文が毎回飛び出します。

車を買う側の視点でズバッとメーカーに聞きたいところを聞いてくれる・・そんな番組でしたね。
よく運転席の三角窓の復活をことあるごとにメーカーさんに注文していたなぁ

特に当時のホンダ車は本当に技術的にも革新的なものを次から次へと投入していましたのでホンダのクルマは「びっくり箱」だと言っていたのが今でも印象に残っています。

中には明らかに不満の残るクルマの紹介といった放送回もあり番組の最後に「もうちょっと・・」なんて言葉で締めくくるといったことも、こんなの今の番組制作ではありえないくらいメーカーに忖度してい証でした。


Youtubeに新車情報'88(1988年放送)の番組がまるごとUPされていました。
著作権的にどんなものか疑問もありますが当時の番組の様子をぜひご覧ください。
この日取り上げる新車は日産のシルビアK’sです。
多分、この日の放送はオンタイムで見ていたような記憶があります。
私が大学2年のころで免許を取得し年で一層クルマに興味を持っていたころです。

1931年生まれの三本氏はこの時は57歳。
アシスタントはこのころは豊田規紫子さんで日産車の放送回で豊田さん・・・と番組冒頭でからかわれています。
この日は日産伝説の技術屋・川村紘一郎氏が開発担当者としてスタジオ出演されています。
番組内ではシルビアに採用されたマルチリンクサスの出来に感心された様子で日産もやればできるじゃない、と褒めています。

一方、居住空間の狭さは自分好みではない(狭い)、車内の音が煩いんじゃないか?とかサイドミラーが見にくいなどとメーカー担当者を前にして言い放っています。
ここまで言いにくいことをズバリ言ってしまう・・流石です。
全グレードで1800㏄ツインカムターボエンジンを採用するシルビアに1600㏄にターボではだめだったの?V型エンジンでは?といった質問に川村紘一郎さんもタジタジで応対しています。
セールス担当者の小気味よいセールストークではなく開発技術陣の生の声が聴けるのも貴重な番組でした。
三本氏の経験と知識によってわかりやすく解説される最新の技術開発も勉強になりました。

商品紹介の番組はたくさんあるけどこれほどまでユーザー目線で忖度なしで進行する番組って見たことないです。
ジャーナリストってこうでなくちゃ、本当にかっこいい方でした。
この記事を書きながらも泣きそうになっちゃいます#59143;




三本和彦、ニッポンの自動車を叱る



  • 作者: 三本 和彦

  • 出版社/メーカー: 二玄社

  • 発売日: 2009/02/01

  • メディア: 単行本