今日は大安吉日ということで隣の漁港でホタテ養殖の新造船の進水式がありました。
隣りの漁港といっても同じ町内の同じ漁協ですが普段あまり用事がないので撮影に来ても勝手が違ってウロウロしながらの撮影です。


出来立てほやほやの新造船の純白の船体にたくさんのお祝いの大漁旗に飾られています。



今日は強風で海も大時化(しけ)でしたが防波堤に守られた漁港内は波は穏やか。
でも吹き付ける強風は容赦なく大漁旗の飾りつけも一苦労。
漁師仲間で集まって準備に取り掛かります。




舳先には竹竿の先に一升瓶が括り付けられました。



流石の強風と時化のために船上での神主さんを招いての神事の後の試運転後悔は中止となりました。
穏やかな天候だったら僚船に乗って海上での撮影をする予定でしたが岸壁に接岸している様子のみの撮影しかできず残念。

大漁旗をこれほど飾り付けての雄姿はこれで見納めです。



神事が終了すると船上から岸壁に集まった人たちへ餅まきが始まりました。


紅白のお餅の他に駄菓子や小銭も撒かれました。
うちの漁港では進水式にこうした餅まきをすることはあまりなく私も引っ越してきて初めての経験。

子供たちは餅や駄菓子よりも小銭がいいようです(500円玉もあります)


本日の私の戦利品です。
5円玉、50円玉は縁起が良さそうなので財布に入れておきます。
そういえば財布には大吉の御神籤も入っていますがあまり目に見える効果は今のところなく相変わらず薄い軽い財布のまま・・・

そういえばここの漁港は源氏ヶという名前ですぐそばにある町の氏神様である桧木八幡神社の創建縁起に由来しています。

以下Wikipediaより抜粋

横浜町桧木八幡神社には八幡太郎義家の伝説がある。
1053年(天喜年間)、安倍貞任らの夷征伐の帰り、源氏の軍団が乗った船が大嵐に遭った。
そこで
源義家が弓で波を射つつ祈ると時化がおさまった。
義家が射た波は後に軽石となって浜に上がったと言われ、その辺りの浜を「源氏ヶ浦」と呼び、その浜に軽石を神体とする八幡神社を勧進したという。
ゆえにこの神社は軽石八幡神社とも称されている



軽石八幡神社と呼ぶ町民には会ったことがありませんがこの源義家の家来2人がこのままこの地に残り今でも町内で多く見られる2つの苗字(大関、小関)の先祖になったそうです。
いわば神社のお膝元の漁港なので進水式の神事も丁重に行われているのだと思います。