こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。
夏の疲れが出たのか体調不良が続きちょっとブログ活動をお休みさせていただいていました#59124;
ご心配戴いている#59025;眩暈については現在耳鼻科で検査待ち状態ですがその後は眩暈は起きていないので一時的なものだったのかも?

今回はひと月ほど前のことになりますが8月22日に
お隣の六ケ所村の村立郷土館で開催されている”今よみがえる富ノ沢遺跡”という企画展に行ってきた記事となります。
(企画展の会期は令和5年7月15日~9月24日)

こうした考古学関係の展示会の参加は今年はこれが初めてとなります。

六ケ所村というと全国的にも有名な”原子力タウン”です。
もう何十年も前から核サイクル施設やその関連施設の建設ラッシュが続いています。
今回の企画展の”富ノ沢遺跡”も
そんな原子力関係施設の建設工事にあたって本格的な調査がおこなわれた遺跡なんです。

この遺跡の特徴はなんといってもあの青森市内の三内丸山遺跡が発見されるまでは”国内最大級の縄文集落遺跡”だったということです。
この事実は私自身も知らずにいたので説明を聞いて大変驚きました。



▲企画展のチラシ 嬉しいことに入場無料です。
チラシにもある遺跡巡りツアーにも参加したかったのですがこのころは猛暑続きで参加は断念しました。

”縄文最大の・・”の名誉は三内丸山遺跡に譲ったとしてもそれほどの規模の遺跡がほとんど名が知られていないのは調査後にほぼ埋め戻されてしまったからでしょうか?
現在では遺跡の発掘現場は原子力施設の敷地内になっていたり新しくできた道路になっていたりしています。

それでも三内丸山遺跡をはじめとする県内の縄文遺跡群とリンクしてもっと広報周知すればよい観光資源にもなったのではないかと思いますが現状はこの遺跡は世界遺跡の構成遺跡にも入っていませんし県内の他の縄文遺跡に比べてもマイナーな存在であると思います。

▲富ヶ沢遺跡と同年代の縄文中期の土器で有名なのがこちらの国宝・火焔式土器(笹山遺跡(新潟県))。
最近はこのようにカプセルトイでも縄文土器のミニチュアが手に入ります。

私が会場を訪れたのは平日の日中ということもあり見学者は自分以外誰も居ませんでした。そんな状況だったのですがわざわざ学芸員の方がご丁寧に付きっ切りで会場内を説明してくださり有難かったです。
なんとも贅沢な時間を過ごすことができました。


この学芸員の方は昨年、私の住む町で開催された地元の遺跡に関する企画展で出張解説員として来ていただきお世話になった方でした。


当日、現地で学芸員の方に解説いただいた内容と頂いたリーフレットから改めて富ノ沢遺跡についてざっと要点をまとめてみました。
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縄文時代中期(今から5100年~4100年前頃)に隆盛を誇った大規模集落遺跡
竪穴住居跡503 土坑1034 貯蔵穴262 を確認
集落の形成が始まった前半は東北北部の円筒式土器の文化
集落の形成の後半は東北南部の大木式土器の文化
大木式土器の文化が入ったころから急速に集落の大規模化が進む
(計画的なムラの発展)
土器文化の転換時期を境に集落の位置が変わる(高台に移動)
土器文化の転換時期の直前に急速に人口減少するがその後人口急増
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土器文化の転換(円筒式=>大木式)でムラの生活や形態に大きな転換がみられるのですがこれは大木式文化圏(東北の南部)の縄文人が北上して来たのか?あるいはもともとの住民が文化的変容を起こしただけなのか?いろいろ個人的に興味は尽きないところです。
村内の大規模開発もひと段落している現状では新たな追加発掘調査も難しそうです。

う~ん、もし遺跡の保存を優先させていたらもしかしたら三内丸山遺跡を凌ぐような大発見もあったのかなぁ~でも開発を優先させたおかげで現在の豊かな六ヶ所村があるのも事実だし難しいですね(考古学好きとしては保存優先でお願いしたいけど住民の方にとっては全く次元の違う話なんだろうというのも容易に想像できます)


▲企画展で頂いたリーフレット(クリックで拡大できます)

遺跡のある六ヶ所村は青森県の下北半島の太平洋側にあって陸奥湾に面している私の住む町と背中合わせなんです。
従来は夏でも冷たいヤマセが吹く作物も育ちにくい冷涼な土地という寒村のイメージでしたが村を上げての大規模開発が功を奏していまでは核サイクル施設を中心にした原子力の街となりました。
最近は自然エネルギーの象徴である大規模太陽光発電所や大規模風力発電事業の立地もありまた原子力関連の人材が集まってもうかつての寒村のイメージは完全に吹き飛んだ感じです。
原子力マネーの力で地方交付税交付金も貰っていないとか?(噂)
村内の施設も立派なものが多くて今回訪れた郷土館も素晴らしい施設と展示内容でした。
コンサートホール(スワニー)もあるし温水プール、大規模入浴施設(ろっかぽっか)や県内の大手スーパーも出店しています。(ダイソーもある)
うちの町からも六ケ所村へ通勤している人も多いです。
ちょっと”村”というイメージじゃないですよ


今年は猛暑の影響で稲の生育が早く稲刈りも例年に比べて早目になりました。
知り合いの稲刈り作業の手伝いが毎年恒例となっているのですが田圃の隣では遺跡の発掘調査が行われています。
ここの発掘現場も数年前は田圃でしたが下北半島縦貫道路の建設予定地となったため発掘調査ができるようになりました。
作業の携わっている人の話ではまだ目ぼしいものは出てこないとのこと
ここの現場も数年前まで自分も稲刈りのお手伝いをしていた場所です。

こうしてみると我々は縄文人の営みの上で暮らしているという実感が湧いてきます。
作家の司馬遼太郎先生が「街道をゆく」で青森県編を「北のまほろば」と題したのも頷けますね



街道をゆく 41 北のまほろば (朝日文庫)



  • 作者: 司馬 遼太郎

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版

  • 発売日: 2009/05/07

  • メディア: 文庫