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9月10日海上自衛隊八戸航空基地祭、11日三沢基地航空祭と地元青森での航空祭記事が続きましたが今回も9月に開催されたイベントの記事になります。


2022年9月17日(土)・18日(日)の両日、むつ市のむつ来さまい館で「地元の縄文再発見フェア in しもきた」が開催されました。
下北半島各地の遺跡から出土した遺物の展示と講演会で構成されるイベントでした。
私は2日目の午前中に見学させていただきました。(午後からの講演会は都合がつかず不参加となり残念)

青森県には縄文時代の大規模集落の遺跡で世界遺産北海道と北東北の縄文遺跡群の中心的構成遺跡である三内丸山遺跡があるので”青森県&縄文”というイメージは全国的にも浸透しているのではと個人的には思っています。
世界遺産に含まれる縄文遺跡は県内に8遺跡あり、北海道(5遺跡)、岩手県(1遺跡)、秋田県(2遺跡)と数の上でも上回っています。


縄文時代のイメージって現在50歳代の私が学校で勉強していたころに比べて近年の発掘調査研究などでかなり様変わりしています。
やはり三内丸山遺跡が大きな転換点になった印象があります。
稲作が始まる弥生時代以前、狩猟採集生活を中心ていたと考えられていた縄文時代に大規模定住集落が存在して漫画に出てくるような原始(旧石器時代)生活よりはるかに文化的な生活をどうやら送っていたらしいことがわかってきました。

縄文時代より前の時代(石器時代)の大人気漫画

今回の展示会は”「地元の縄文」再発見”プロジェクトの一環として開催されたものです。
このプロジェクトの趣旨は全国的に有名な三内丸山遺跡以外にも県内には各市町村に3,600ヵ所もの縄文遺跡があり青森県の縄文遺跡密度はかなり高いということから今住んでいる場所の身近のところにある縄文遺跡を”地元の縄文”と定義してもっと縄文時代とその遺跡のことを知ってもらうための取り組みということです。
具体的内容は以下の通り
①「地元の縄文」フェアの開催
②「あおもり縄文カード」の作成・・ダムカードやマンホールカードのようなもの 
③「地元の縄文」をインターネットで配信
④「縄文〔実物〕遺物セット」の作成・・学校の授業で実際に触れる遺物の貸し出し

今回のフェアは”しもきた(半島)”地域の地元の縄文遺跡の紹介となります。
会場内の出土品展示エリアは大きく4つに分かれていました。
・【横浜町・六ケ所村】下北半島の本州側の入り口
・【風間浦村・東通村】下北半島の津軽海峡~太平洋沿岸北部
・【大間町・佐井村】下北半島の”鉞(まさかり)の先端部

・【むつ市】下北半島の中央部

展示された遺物の総数は560点にものぼるので全部を紹介できませんので特に私の個人的主観で興味を持ったものをセレクトして記事にしてます。


まずは入り口付近のエリア、私の住んでいる町の「地元の縄文」の紹介パネル



林の脇遺跡は特に自宅から目と鼻の先の遺跡で現地発掘説明見学会にも参加させていただきました。(当時の記事はこちら
また桧木遺跡はかなり貴重な遺物が発見されています。
桧木(ひのき)地区は町の中心部のちょっと北側に位置しています。
町の氏神様である八幡神社が海岸沿いにあって古くから人が住みついた町の中心エリアだったのかも?

桧木遺跡は1981年に町の教育員会により調査が行われた遺跡です。
当時、自分は中学生、東京で暮らしていたのですが夏休みに田舎(横浜町)に遊びに来ていて公衆浴場の脱衣場にこの遺跡の発掘調査の案内チラシが貼ってあったのかすかに覚えています。

桧木遺跡ではこんな珍しい土器片が見つかりました。

ちょっと写真を撮る角度が悪かったですね~
せっかくスタッフの方が展示ケースを外してくれたのに~
縄文カードの方がよくわかると思います。

土器のふち部分にこんな感じで動物の顔が2頭分見えませんか?
これはクマ型突起付土器と呼ばれています。
うちの町はクマが結構出没するのですが昔からそういう土地だったのですね
縄文土器にクマがあしらわれている例は多いそうですが2頭並んでいるのは珍しいのだそうです。
縄文カードの説明には「コップのフチ子」さんに例えられていました。
縄文晩期の遺物だそうです。
子供に使わせていた土器なのかなぁ?

土器カードの説明分は画像をクリックして拡大表示させてください。


こちらも桧木遺跡から出土した円盤状石製品(縄文晩期)
なんだかとても抽象的な名称ですね
自然にできた形状ではなく縄文人がこんな感じに加工したものなんだろうけど何に使ったのかなぁ?ちょっと聞きそびれました。
お金の代わり?だったら凄い。
どんどん作れたら当時もインフレになったかも?
古代のヒトにとってこのようにただの石を平たく丸く加工する手間や要する時間こそが物に価値をも吹き込む基準になっていたのかもしれません。

同じく桧木遺跡から出土した縄文後期の土器です。



こちらは桧木遺跡と同じ横浜町内のモダシ平遺跡から出土した弥生土器。
縄文時代の土器から荒々しさが消えて洗練された感じです。
この遺跡のある場所もよくクルマで近くを通るのですが遺跡があることを知りませんでした。
まだまだ知らない「地元の縄文」が他にもありそうです。




こちらはお隣りの六ケ所村・上尾駮(かみおぶち)(1)遺跡から出土した鼻曲り土面(縄文後期)
今の私たちが見ても撮ってもユーモラスなお面です。
鼻がも曲がっていますが眼の穴の上の眉の部分もおかしく曲がっています。
にらめっこでもこんな感じに顔をゆがめたりしますよね~
ひょっとこ(火男)のお面に通じるものを感じます。
お面(土面)にするには両サイドに紐通しの穴が開いていない・・といわれていますが常に顔に被って何かをしたのではなく手に土面を持って必要な場面で瞬時に素顔と土面の表情とを使い分けて使うようなことをしていたのかも?(紐は不要というか邪魔?)
宴会の余興用なのかも?


こちらも六ケ所村の大石平・上尾駮(2)遺跡から発掘された遺物。
一目見てすぐにわかりますね?
そう動物を模した動物形貼付
クマかな?イノシシかな?四肢をべた~っと広げているように見えるのは縄文人によって狩らた姿?
土器などに貼り付けられていたのでどれもミニチュアサイズでかわいいのです。
動物の中でもクマはよく遺跡から出土しているようなので縄文人がクマに持っていた意識は現代人のただただ恐ろしいといったイメージとはだいぶ違っていたのでしょう。
ただ現代の日本人が怖くて恐ろしいクマとは180度違うかわいらしいクマさんキャラが人気という気質も縄文人のDNAが影響しているのかも?



原子力施設や国家石油備蓄基地が立ち並ぶ六ケ所村の遺跡は大規模開発により発掘調査が進められ様々な遺構や遺物が見つかりましたがそうした遺跡の多くは核サイクル施設工場の下に埋まってしまいました。
県内の遺跡に限らず各地で行われている遺跡の発掘調査の多くがこうした土地開発、道路建設などの工事に伴うもで調査後に全体が保護され残される遺跡は滅多にないそうです。

青森市の三内丸山遺跡も野球場の建設工事によって調査発掘されその全貌が明らかになり流石に考古学的価値が突出して高いものであったため残されたようです。


次回も「地元の縄文」フェア in しもきた の記事になります。

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