今日からSo-netブログ(ソネブロ)がSSブログへと変更になり今回が初の投稿です。
消費税も10%になりましたが今日はお金を一銭もつかっていないので増税の実感はまだないですね。

今回の話題は8月末とちょっと古い話題なのですが自宅のすぐ近所での遺跡の発掘現場での現場説明会の様子です。
私はこうした歴史もの考古学とか大好きで大学受験の際に私大の考古学講座のある学部を受験しようかとか真剣に考えていましたが卒業しても食っていけないぞと脅かされ結局、”不”経済学部に進んだのですが結局現状では食うのにやっとというありさまなので好きな道に進んでいてもよかったかなぁと人生折り返し地点をとうに過ぎた今となって後悔しています。


さて自宅近くの遺跡とは“林ノ脇(はやしのわき)遺跡”という遺跡です(青森県横浜町)
道の駅の裏手の加工場の向かいの畑だった場所です。
数年後にここに下北縦貫道路のインターが建設されるのに合わせて発掘作業が始まりました。
周辺に個人の住宅は無く奥に見えているのは企業の寮で町内では数少ない大型施設。

青森県埋蔵文化財調査センターのHPよりお借りしたドローン画像。
南から北方面を望む。画像中央の土が露出した場所が発掘現場。
左手は陸奥湾で国道279横浜バイパスの交差点に道の駅よこはま(菜の花プラザ)が見えます。画面下から左手には三保川の流れ、右手側は山林が続き山越えをするともう太平洋(六ケ所村)。


もともと掘ると土器の破片とかは出ていたような場所らしいです。

そしてこの場所は親戚の畑に隣接する場所で私も数年前までは場所を借りて家庭菜園程度に作物を植えていた場所です。



道の駅寄り(西側)から東側を望む。
GW前から始まった発掘調査も10月末でいったん終了となるそうで8月末の時点でここまで掘り進められていました。

家から徒歩5分ほどの場所なのですが発掘現場を見たのは今日が初めてですぐ傍の地中にこのような遺跡があったとは驚きです。



この日は青森県埋蔵文化財調査センターの専門職員の方の解説で現場説明会が行われました。
ここは平安時代の竪穴式住居の跡だそうです。
青森県内の遺跡では915年に十和田火山の大噴火があって地層にこの時の火山灰がどういう位置で積もっているかによってある程度の年代確認がわかるそうです。
915年は年号では延喜15年、醍醐天皇の御代でちょっと前に菅原道真が都を追われ怨霊として京都で大暴れ、もう少し経つと陰陽師・安倍晴明が生まれるころです。
ちなみに朝鮮半島の白頭山が946年大噴火しているのでこの2つの大噴火の火山灰の層の間の地層は約30年しかないのでこれまた年代確定の指針にはうってつけ。
この遺跡は縄文・弥生・平安の複合遺跡ということがわかっています。



竪穴式住居も平安時代になると円形ではなく方形になって壁のようなものが付くようになるそうです。



こちらは竪穴式住居跡の外周にある壁の跡だそうです。


この遺跡での平安時代の竪穴式住居跡は大きさで2種類に分類されて一辺4mほどの小型のものはカマドの煙道(煙突の役割)が半地下構造で住居外になっているタイプ。
カマド周辺は土が赤く変色して出土しているのでよくわかります。


平安時代の大型タイプの竪穴式住居跡。
一辺8mほどのサイズでカマドの煙道が住居内に収まるものが多いとのこと。
十字型に残っている部分は年代調査のために残している部分のので当時はこんなものはもちろんありません。

この遺跡では縄文・弥生・平安の遺跡が見られるのですが住居跡については弥生後期~平安のものだけで縄文時代の住居跡は見つかっていません。
ただし縄文時代のもので面白いものが多数見つかっています。

溝状土坑(Tピット)が28基確認されていて縄文の落とし穴だそうです。


深さは1m以上あるものもあるようで動物が落ちても即死するようなことはなく生け捕りにするための落とし穴ではと考えられています。
ウサギなどの小動物はそのままストンと落ちて生け捕り、鹿や猪などは落ちたら脚を骨折して逃げられないはず。
人が落ちても骨折しそうな感じ。

遺跡の中での位置は南側に並んで見つかっています。
この落とし穴の先には川が流れていて水場にやってくる動物を狙った仕掛けではとのことでした。
今でもここら辺を軽トラで走ると時々カモシカやニホンジカを見かけます。(熊もいます)


遺跡上空からの画像で下側(南)に列羽状に見える筋が縄文時代の落とし穴。
縄文の落とし穴の上に平安時代の竪穴式住居跡が見られるの縄文時代は狩場で平安時代には生活する場になったのかも?

今でこそこの遺跡周辺に住んでいる人はいないのですがセンターの方の話だと縄文や弥生、平安期の古代人が住んでいた場所は今でも災害にも強い場所が多いということでした。
いわれてみると納得です。
洪水や土砂崩れなどがない場所だからこそこうして遺構が発掘によって見つかるのだなぁと思いました。
この遺跡は発掘調査が終われば壊されて盛土され自動車専用道路の下にまた埋もれてしまいますが災害に強い場所に建設される道路ならある意味安心できます。
隣は道の駅で新鮮な野菜が買えるしその隣はローソン。道路を挟んだ反対側には小学校や保健センター、川を挟んだ向かい側には中学校と今となれば好立地な住宅地になり得たかも・・でももうすぐ道路の下になっちゃうなだなぁ


遺跡の北側も道路の建設予定地なのですが今は畑のままです。
実は冒頭にも書いた通りこの先は親戚の畑で最近までトウモロコシを植えていました。
私も間借りして作物を植えていたのですがちょうどこの看板の先で呑気にもヤーコンなんかを植えていました。
小型の耕運機も使って深くまでロータリーをかけていたのですが来年以降この先も調査する予定になるかもといっていたのでちょっと心配です。
ここら辺では名産の長いもを栽培するとものすごく深くまで土を耕すので遺跡などが破壊されることが多いそうです。
そのおかげで見つかる遺跡もあるのですが・・・

もう親戚の畑は道路用地で収容されていますので耕作はしていません。
この遺跡は結構浅い場所で見つかっているそうで余計に心配。

長々と書いてしまったので出土品関連は次回に・・

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