前回、私が若いころに観戦した1987年のF1日本グランプリ(鈴鹿)のパンフレットが見つかったと書き込みましたが今回はその中身をちょこっとご紹介。

今から三十数年ほど前の1987年、10年ぶりに日本で開催されることとなったF1。
このころ日本は空前のバブル景気に沸いていました。
ホンダは1983年から第2期F1活動を再開していましたが暫くはメディアに取り上げられることはほとんどなく新聞のスポーツ欄に優勝しても記事になることもなかったことが数年続きます。
当時の私(高校生)はモータースポーツの結果もちゃんと記事にしてくれていた英字新聞でF1のレース後は必ずチェックしていました(それ以外の記事は読めません)

そして1987年のシーズン開幕からフジテレビでF1の地上波中継が始まると好調なホンダエンジンの活躍とともに空前のF1ブームがやってきました。

地上波放送が始まってようやく生で動いている画像を見ることが叶ったわけです(当時はyoutubeもなかった)
大学1年生だった私はアルバイトでためて買ったチケット(最安値の自由席でも結構した)を片手に大垣行きの夜行普通列車で名古屋から近鉄に乗り換えて鈴鹿サーキットへ。


会場で買ったガイドブックの中身をパラパラとめくると・・


色々懐かしい顔やマシンが・・・

Marlboro Mclaren TAG Turbo


前年の覇者・プロスト擁するマクラーレンはポルシェ製エンジンで参戦。
このころはドライバーズポイントのチャンピオンが翌年のシーズンでカーナンバー1を付けて参戦していましたね。
マクラーレンは翌年からホンダエンジン搭載&A.セナの加入で黄金期へ、この後のセナ・プロ対決は有名。

Canon Williams-Honda


この年のホンダは2チームにエンジン供給。
Aチームはこのウイリアムズでホンダでした。
シーズン終盤の鈴鹿ではチームの両雄はドライバーズ
ポイントで激しいトップ争いになっていましたが予選中に私の目の前のS字コーナーでマンセルが単独の大クラッシュ!
すぐさまヘリで緊急搬送。

この間僅か十数分、今ではドクターヘリなんて日常茶飯事で上空を飛んでいるけどこれが私にとって初めての光景でした。
チャンピオン争いの相手がいなくなったピケはこの瞬間、走らすしてチャンピオンホルダーになってしまいました。



キヤノンはウイリアムズのメインスポンサーとなっていたので自社製品の広告にも・・
ちなみにこのころのEOSはフィルムカメラです。

Camel Team Lotus HONDA


ホンダエンジンの供給を受けるBチームは名門ロータス。
今のレッドブルとトロロッソのような親密な関係はこの両チームにはないのだけど天才セナを擁してもウイリアムズとはちょっと格が落ちる印象。
この年はアクティブサスペンションを初採用して優勝も
セナはこの時すでに来期はマクラーレンの移籍が決まっていました。

Ferrari SpA


こちらは名門フェラーリ。
この年の日本グランプリはG.ベルガーがまさかのホンダの地元で優勝をかっさらってくれました。
マンセルの事故でドライバーズチャンピオン争いはあっけなく終戦。
決勝レースはセナの追い上げ(2位)と中嶋悟の6位入賞が私にとっては唯一の盛り上がりポイントでした。


1987年日本グランプリ 
【出走リスト】


1.アラン・プロスト(32)   マクラーレン MP4/3 TAGターボ
2.ステファン・ヨハンソン(31)
マクラーレン MP4/3 TAGターボ
3.ジョナサン・パーマー(30)  ティレル FORD DG/016
4.フィリップ・ストレイフ(32) 
ティレル FORD DG/016
5.ナイジェル・マンセル(33) ウイリアムズ ホンダ FW11B
6.ネルソン・ピケ(35)    
ウイリアムズ ホンダ FW11B

7.リカルド・パトレーゼ(33)   ブラバム BMW BT56

8.アンドレア・デ・チェザリス(28)ブラバム BMW BT56
9.マーティン・ブランドル(28) ザクスピード 871

10.クリスチャン・ダナー(29)  ザクスピード 871

11.中嶋悟(34)       ロータス ホンダ 99T
12.アイルトン・セナ(27)  
ロータス ホンダ 99T
14.ロベルト・モレノ(28) AGS JH22
16.イヴァン・カペリ(24) レイトンハウス マーチ 871
17.デレック・ワーウィック(33) アロウズ A10
18.エディ・チーバー(29)    アロウズ A10
19.テオ・ファビ(32)     ベネトン FORD B187

20.ティエリー・ブーツェン(30)ベネトン FORD B187
21.アレッサンドロ・カフィ(23)オゼッラ FA-11

23.アドリアン・カンポス(27)  ミナルディ M186
24.アレッサンドロ・ナニーニ(28)
ミナルディ M186

25.ルネ・アルルー(39)     リジェ メガトロン JS29B
26.ピエルカルロ・ギンザーニ(35)リジェ メガトロン JS29B

27.ミケーレ・アルボレート(30) フェラーリ F187
28.ゲルハルト・ベルガー(28)  フェラーリ F187
29.ヤニック・ダルマス(26) ローラ LC 87 FORD
30.フィリップ・アリオ―(33)ローラ LC 87 FORD



当時のF1は出走台数・チーム数ともに現在よりも多かったんです。
懐かしい名前がたくさんあります。
カラフルなカラーリングの車体の中でもベネトンのカラーリングは異彩を放ていました。

【リザルト】
1位 G・ベルガー
2位   A・セナ
3位 S・ヨハンソン

4位 M・アルボレート
5位 T・ブーツェン
6位 中嶋悟
7位 A・プロスト
8位 J・パーマー
9位 E・チーバー
10位 D・ワーウィック


土曜の予選は比較的すいていたので自由席ならどこでも観戦できたのですが日曜の決勝は様子が一変してS字コーナーあたりも満員で逆バンクの出口付近の観戦エリアで見ていました。
コース全体の状況が分からないので少々困りましたが一旦速度を落としたマシンが加速するポイントだったので迫力はそれなりに楽しめた記憶があります。
ターボ全盛のF1エンジンの迫力を体全体で感じられました。
スピードは後にもてぎで観たCARTやインディカーの方が出ていた感じです。


ガイドブックをさらに眺めていると掲載広告も時代が感じられて楽しいものです。



こちらはレースにも参戦していたレイトンハウスの広告。

バブルを象徴するような企業で何で設けいえているのか当時はさっぱりわかり知りませんでした。
アパレルなんかも展開していてレイトンハウスのTシャツとかを川崎の丸井で買ったような・・・

当時は1台でチームとして参戦することが珍しくなかったのですがレイトンハウスも1台体制のチームでしたね。
当時、土曜の予選の朝、ゲートを抜けてコースに向かう我々の目の前に突然現れて飛んで行ったのはこのレイトンブルーに全塗装されたヘリコプターでした。
オーナーでも乗ってきたのかなぁ~オーナーは最終的には収監されるという波乱の人生を送ることになったのですがこのころはきっと”ブイブイ言わせていたんだなぁ”ところでブイブイって何?チコちゃんに訊いてみたいです


F1とは関係ない広告ですがコカ・コーラの広告。
このころのコカ・コーラのCMはイメージ広告主体で”さわやか”さが前面に
モデルは松本孝美さん(当時私の憧れのモデルさん)



このプログラムはなかなか今から見てみると興味深い内容です。

バブル真っ盛りの日本の熱気を感じることもできるような資料でした。