前回の記事をUPしてから親戚に不幸があり県南の中心都市である八戸に葬儀のため1週間ほど滞在していました。
なので前回記事についてのコメントのお返事が遅くなってしまいましたが先ほどUPさせていただいております。
故人は長年外科医として活躍していましたが引退後は数々の病気を患いついには癌により命を奪われるに至りました。
お正月の松の内が明けたころに入院中の病室を見舞ったのが最後の別れとなってしまいました。

昨年、自宅に遊びに行った際には私に「若い頃に医者として命を助けてあげられなかった患者さんが多くいたので自分は今その罰を受けるのだ」と漏らすこともありました。
葬儀での遺族挨拶のなかでもこの言葉に触れていたので周りの人にも言っていたようです。

今はただただ故人の冥福を祈るばかりです。


さて葬儀は最近流行の葬祭会館(今回は地元TVでCMをよくみかけるところでした)で執り行われました。
八戸市の中心街に立地していてホテル並みの施設で家族控室で6日間ほど滞在することになったのですがベッドルーム(3人部屋)が2室と大きなユニットバス、キッチンもちろんトイレ付というコンドミニアムな感じでした。

添え付けのアメニティも高級品で毎朝ベッドメイキングと室内清掃のスタッフが入ります。
廊下の共有スペースにはドリンクバーまでありました。

普段は超田舎に住んでいるので不謹慎ながらもちょっとウキウキ
夜は繁華街に出て久しぶりのネオンを堪能(買い物のため外出で飲み歩いたわけではありません)。

1週間近くも八戸に居たので気分はもう(俄か)八戸市民です。


葬儀当日の朝、会館の目と鼻の先にある長者山という小丘に散歩がてら訪れることにしました。
ちょっとこの場所は以前から一度訪れてみたかった場所です。

長者山と”山”がつくけどこのような小さな丘ですね。
標高は40mほどだそうです。
葬儀の間は会館に引きこもっているだけであまり外の様子に気が回らなかったのですが長者山へは会館から徒歩5分ほどで行くことができます。



長者山に登るにはいくつか道がありますが会館側から行くとこの岩がゴロゴロと並ぶ坂がありました。

上からこの坂を見下ろしたところ。
この岩(石)の坂道を上り下りしなくても脇にも普通の道があるので普通はこの岩の坂を使わないでしょうねぇ~というか頂上側にはロープが張られていたので立ち入り禁止になっているのかも?
付近の町名は”山伏小路”とあるので修験道の修行のためにこの坂を山伏が上り下りしていたのかもしれません。(ちょっと調べ切れていません)


山頂はなだらかな広場のようになっていて長者山新羅神社があります。


今シーズンの青森は記録的な少雪ですが例年ほとんど積雪がない県南(八戸地域)についてはちょっと雪が多いかも?
参道脇に融け残った雪がガチガチの氷状態で残っています。
早朝ということもあり境内のあちこちで氷が張っていました。



長者山の由来をみるとここにも義経伝説がありました。



そして山頂に広がる広場の一角に私が目指して来たものがありました。
樹齢200年以上といわれる山桜(エドヒガンザクラ)の老木です。

近づいてみると看板がかかっています。

看板には『おとぎの桜』とあります。
この桜、県内ではちょっと有名な桜で開花時期に話題になるというよりも夏休みによく地元TVや新聞に名前が出てきます。
毎年、学校が夏休みになる7月下旬の1週間ほどこの桜の木の下で子供たちを前にした童話会(読み聞かせ)が開かれます。
「森のおとぎ会」として大正13年(1924)から100年近く続いている催しで早朝5:30頃から始まる童話会に近隣の子供たちが集まって来ます。
もともとは八戸であった大火で焼き出された子供たちのための童話会が発祥とのことです。
現在でも毎回100人ほどのこどもたちがこのおとぎの木の下に集まって童話を聴いているそうです。
みんなで木の下に集まって童話を聴くなんて素晴らしい夏休みの体験だと思います。


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