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前回の「同志少女よ、敵を撃て」に引き続き今回も最近の私の読書録を・・
実は全く同じ時期に前回と今回ご紹介となる小説を読んでいました。
2冊とも500ページ前後の大作でしたので夕食後から寝るまでの間やちょっとした時間を使って読み進めていました。

どちらも図書館から借りた本なので返却日が決められておりました。

まぁ、それぞれ2週間の貸出期間なので余裕と思っていましたがいろいろ他にやることがあったりと正味1週間ほどでトータル1000ページを読破することになっちゃいました#59142;


さて今回のご紹介は今村翔吾の『塞王の楯』(集英社刊)です。


第166回 直木賞受賞作なのですでに読んだという方も多いのではないでしょうか?
戦国時代の終盤、関ヶ原の戦いの直前の大津城攻城戦。
城攻めを行う西軍には鉄砲職人集団の国友衆が最新の鉄砲や大筒で苛烈な砲撃を、一方、城方(東軍)には当時戦国最強の石垣職人集団である穴太(あのう)衆が改修した水堀や堅牢な石垣で籠城する味方を守るというまさに最強同士の”矛と楯”によるドラマが繰り広げられていました。
どんな石垣をも突き破る最強の鉄砲をつくればやがて勝ち目のない戦をやろうとは誰も思わなくなり戦は無くなるという国友衆。
対してどんな攻撃にも全くビクともしない堅牢な石垣を作れば攻めようなんて思う者はいなくなりやがて戦は無くなるという穴太衆。

どちらも自らの技術の研鑽でやがて戦のない平和な世を目指すという理想を掲げて臨んだ一戦。
武士でもない職人たちが戦場で夢見る戦の無い世は現代に生きる我々にも与えられた命題のようにも思えます。
戦国ものというと戦略的観点からのドラマが多いけどこの作品はどちらかというと戦術級ドラマです。
そうした点でもちょっと視点が違う作品ですね


以下、出版社サイトより


あらすじ


幼い頃、落城によって家族を喪った石工の匡介(きょうすけ)。
彼は「絶対に破られない石垣」を作れば、世から戦を無くせると考えていた。
一方、戦で父を喪った鉄砲職人の彦九郎(げんくろう)は「どんな城も落とす砲」で人を殺し、
その恐怖を天下に知らしめれば、戦をする者はいなくなると考えていた。
秀吉が病死し、戦乱の気配が近づく中、
匡介は京極高次に琵琶湖畔にある大津城の石垣の改修を任される。
攻め手の石田三成は、彦九郎に鉄砲作りを依頼した。
大軍に囲まれ絶体絶命の大津城を舞台に、信念をかけた職人の対決が幕を開ける




塞王の楯 (集英社文芸単行本)



  • 作者: 今村翔吾

  • 出版社/メーカー: 集英社

  • 発売日: 2021/10/26

  • メディア: Kindle版





500余頁という長編ですがとても面白く読み進めることができます。
作品を通じて”矛盾”有名な楯と矛の故事について考えさせられるところなのですが最強の矛も最強の楯も使うのは結局は”人”なのだと私自身は思いました。
歴史の史実からこの攻城戦の結末は城攻め方の西軍が城を開場させて勝利となりましたがここで大津城攻めに時間をとられて攻城軍は関ケ原の戦いに後れを取りその結果は皆さんの知るところです。

前回の「同志少女よ、敵を撃て」は設定上映像化はほぼ無理と思われますが「塞王の楯」は映像化は十分あり得ますね、迫力ある攻城戦の映像化は期待したいです。


穴太衆については以前ブラタモリで滋賀県の琵琶湖のほとりで石垣積み職人集団として紹介されていたのを観ていました。
難しい読み方(穴太)だなぁと気に留めていました。
昨今の歴史ブームにより最近はお城の石垣に興味を持つ人が増えているようです。

本来なら自分こそ”これ”を突き詰めて研究すべきなのかも?(ねぇご先祖さま)
歴史については人並み以上に好きなんですが”これ”にはどうも手を出さずに生きてきました。
興味を持って今に生きる穴太衆の末裔の方の会社のHPを見てみると最近の施工実績は海外の公園などに技術を振舞われているようでそういう平和的な場所で石垣づくりのノウハウが現代に生きているというのは彼らのご先祖様の想いが少しは通じたということかもしれません。
#59128;株式会社粟田建設のHPへ(こちら#59130;

戦国最強の石垣職人集団である穴太衆も同じく戦国最強の鉄砲鍛冶集団であった国友衆も琵琶湖のほとりの同じような地域(近江)に存在していたというのも面白い事実です。

また大津城城主である京極高次と正室・初夫婦も作品中にとても興味深く描かれていて今回新たに私の興味の対象が増えました。

正室である初(はつ)はあの浅井長政・お市の方の娘で茶々殿、お江と三姉妹。
その中でも初にはあまりスポットライトが当たって来なかったように思えますのでこの人を大河ドラマの主人公にしても面白そうなんですけど