SSブログ

千石船見学会 [青森の話題]

こん〇〇は!いつもご訪問いただきありがとうございます。
隣の野辺地町の常夜灯公園に復元された千石船が陸揚げされています。
ちょっと歯医者さんの帰りに立ち寄ってみたらちょうど見学会が開催されていました。

1-IMG_7156.JPG

なんでここに千石船が?と思われるかもしれませんがここ野辺地町はかつて南部藩の藩港として北前船の寄港地として大変栄えた港町なのです。(最近は日本代表MFの[サッカー]柴崎岳選手の出身地としても有名)
青森県内には北前船の寄港地が数か所あって陸奥湾内だとここ野辺地と下北半島の川内とかが有名です。

青森といえばねぶたやねぷたまつりが有名ですがむつ市やここ野辺地には京都の祇園祭の山鉾と同じようなものが祭りに登場します。
これらの山鉾は北前船が運んだ文化の名残りだそうです。
さてこの千石船は十数年前に県内の財団が北前船文化の伝承を目的に復元建造されたものでつい最近までは海上で実験航海をしていた現役の千石船です。(最近まで青森港に係留されていました)
ただ海上に係留していると船体の痛みが激しくなるので野辺地町が譲り受け陸揚げして展示することになったようです。
実験航海の様子は県内ニュースでも何度も取り上げられたので私も知っていたのですがこうして実物を見るのはこれが初めてです。
この復元船はNHK大河ドラマ「篤姫」にも登場したようです。
また「たたら侍」という最近の映画にも・・・こちらは完成後に役者の不祥事で公開中止になったりして・・・
たたら侍 Blu-ray(通常版)

たたら侍 Blu-ray(通常版)

  • 出版社/メーカー: エイベックス・ピクチャーズ
  • メディア: Blu-ray
***************************************************
1-IMG_7153.JPG

こうしてみると独特な形状をしていますね。
子供に船の絵を描かせたらこんな感じになりそう。
海外の海賊映画に出てくる帆船とも全然違いますね。
積み荷を千石(150t)積載できるので千石船というのですがこちらの復元船には”北前型弁才船”という名称が使われえています。

北前船に使用された船は江戸中期以降は弁才船という型が主流になりとくに北前で建造された船を北前型弁才船と呼ぶそうです。

比較対象となるものが少ないので大きさを実感できないかもしれませんが全長32m、全幅8.5m、深さ3m、帆柱までの高さ28mだそうです。
千石という単位も今の私たちにはピンとこないのですが私がよく読んでいた歴史小説などに登場する千石船のイメージとはちょっと実物は小ぶりな印象です。

1-IMG_7152.JPG

そうそうこの復元船の名前はみちのく丸です。


今回の見学会は船内見学もできます。
工事現場で見かける仮設足場を3階分ほど階段で上がると甲板です。
船内ではガイドさんの案内付きです。

船の前方方向”みおし(水押)”方を見たところ

1-IMG_7147.JPG
先端の柱は“弥帆(やほ)柱という小さな帆を張るもので船の方向転換や風上への航行(間切り)時に使ったようです。
当然、野辺地町町旗では代用できません。


1-IMG_7140.JPG
船尾側(とも)方を見たところ。
ともとはこう書きます艫”。
前出のミオシもトモも今でも使われている船の用語です。
手前に見えているのは舵とつながっている”舵の頭”で手前に伸びる舵柄を数人で操舵して船の舵を切ります。
1-IMG_7141.JPG
手前に伸びているのが舵柄で現代の航海では7人がかりで操舵するのがやっとのことです。
当時は何人で舵を操作していたのかなぁ?


1-IMG_7144.JPG
帆柱は円柱形ではなく角柱形です。
西洋の帆船のようにマストが何本もあるわけではないので船上は意外とスッキリ。
帆自体は船倉にしまっているそうですが陸上で帆を張ると風の力で船が横転してしまうとのことなのでもう帆を張った雄姿は見ることができないのかも・・・


1-IMG_7137.JPG
帆柱は1本の木からできているわけではなくブロック単位で繋がれています。
江戸時代とはいえもうこれほどの大木を調達するのは容易でなくなったのと非常時に帆を倒す際にも都合がよいとのことでした。
帆柱の頂上日ている滑車は”せみ”と呼ぶそうです。
滑車の回転時の音からきているのでしょう。


1-IMG_7136.JPG
甲板の踏立板を外すと船倉が見えます。
ちょうど発動機が見えていますが排水用ポンプを動かすのに使うのかなぁ?

重い荷物は船底に積んでバランスをとっていました。
甲板の踏立板はほぼ取り外しが可能な構造らしいので積み込み時はもっと開口部を広くとれるので荷役などの作業性は意外とよかったのかもしれません。


今回の見学会は陸揚げされてまだ一般効果展示用の整備が整っていない状況なのですがもう少し整備されると一層ロマンを掻き立てるような展示になりそうです。
パンフレットによると北前船が最も栄えたのは江戸後期~明治40年代ということです。
私はてっきり文明開化とともにこのような千石船はあっという間に廃れて様式船にとってかわったのだとばかり思っていましたがほぼ明治期を通して活躍していたなんてちょっと意外でした。


私は司馬遼太郎の「菜の花の沖」で高田屋嘉平と千石船を知りましたが自分の目で千石船の大きさや構造をいくらかは知ることができたのでもう一度機会があれば読み返してみたいと思いました。


1-CCI_000001.jpg
見学会のスケジュールは上のチラシをクリックして拡大表示してください。
なお見学会開催時以外は船の外周は見学できそうです。


1-IMG_7157.JPG
千石船が展示してある常夜灯公園のシンボルである常夜灯です。

千石船のすぐそばに設置されています。

昔の灯台の代わりになった石灯篭で実物です。
以前はちょっと離れた海岸線に当時と同じ場所に設置されていたものを公園の整備に合わせて移築した模様。
この常夜灯を含めた北前船関連の史跡が日本遺産として認定されているそうです。(世界遺産じゃないよ)
ウッディジョー/木製和船模型 1/72北前船(塗料付)

ウッディジョー/木製和船模型 1/72北前船(塗料付)

  • 出版社/メーカー: ウッディジョー
  • メディア: おもちゃ&ホビー

nice!(32)  コメント(10) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 32

コメント 10

hanamura

みちのく丸!マロンじゃなくて、ロマンだわさぁ~!
by hanamura (2018-08-12 17:50) 

青い森のヨッチン

hanamuraさん
実際の帆走シーンもYoutubeで見ることができます。
by 青い森のヨッチン (2018-08-12 18:43) 

JR浜松

7人がかりで舵をきるとは!あの大きなものを潮流と逆にきろうものならば大変だったんでしょうね。
by JR浜松 (2018-08-12 20:33) 

青い森のヨッチン

JR浜松さん
ちょうどガイドをしてくれた方が実験航海で舵柄を操作していたそうで水の抵抗がかなりきつかったようです。それでも当時はもっと少ない人数で操作していたとか・・
by 青い森のヨッチン (2018-08-12 20:57) 

ぽちの輔

昔は全部人力ですもんねぇ^^;
by ぽちの輔 (2018-08-13 06:30) 

青い森のヨッチン

ぽちの輔さん
船を動かすのも、作るのも、荷役も人力ですからねぇ~
昔の日本人は体は小柄でも筋力は現代人よりもあったのでしょうねぇ

by 青い森のヨッチン (2018-08-13 07:25) 

silencer169

日本の帆船って独特な感じがしますね。もっと小さなものと思いきや、結構迫力がありますね!
by silencer169 (2018-08-13 09:42) 

青い森のヨッチン

silencer169さん
千石船って時代劇などでも登場シーンは全景が映らないようなカット割り(セットなので)ですから人によってイメージする大きさは違うようですね。私は実物を見て思っていたより小さいと思っちゃいました。
by 青い森のヨッチン (2018-08-14 21:34) 

tarou

お早うございます、輪島キリコ館に
コメントを有難うございました。

みちのく丸、凄いですね(^_^)v
今でも、独特の線形ををした
千石船が作れるとは驚きです。



by tarou (2018-08-15 05:38) 

青い森のヨッチン

tarouさん
nice!&コメントありがとうございます。
パンフレットによると実質建造期間は約9か月とのことです。
by 青い森のヨッチン (2018-08-15 09:08) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

そろそろ製作再開ですタープ購入 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。